2017年3月31日金曜日

獅子文六『自由学校』

御茶ノ水駅改良工事が行われている。
地盤強化、耐震補強、バリアフリー化をはかる工事だそうである。御茶ノ水駅といえば足下に神田川が流れているが、この川が江戸時代初期に開削されたことはよく知られている。本郷の台地に無理矢理川を通したものだから、隣の水道橋駅や秋葉原駅のあたりと異なり、御茶ノ水駅は狭隘な地形に位置している。しかも東西を聖橋、お茶の水橋にはさまれている(駅は御茶ノ水だし、橋はお茶の水だし地名の表記は難しい)。工事をするにはやっかいな場所だ。
現在、神田川の上に仮設桟橋を設置している。せまく、急峻な地形のため桟橋をつくって、そこから神田川河岸の耐震補強を行うらしい。聖橋口の駅前広場機能整備まで含めると2020年までかかるというから、かなり大掛かりな工事である。
お茶の水はこの小説ではお金の水と称されている。家を追い出された南村五百助はお金の水橋の袂の土手に住んでいた。今でいうホームレスである。
戦後間もない昭和25年頃、混乱の時代ではあったが、お茶の水の谷間にはのどかな時間が流れていたのではないだろうか。さすがの五百助もこんな工事の最中ではのんびりもできなかったにちがいない。
獅子文六を読むたびに思う、これは映画全盛期の小説だなと。
実際にその作品の多くが映画化されている。澁谷実監督「てんやわんや」、川島雄三監督「特急にっぽん」(原作は『七時間半』)と、これまで読んだ二冊はともに映画になっている(いずれの映画も興味深い)。1950~60年代の映画全盛期は原作に飢えていた時代だったのかもしれない。
『自由学校』にいたってはほぼ同時にふたりの監督が映画化している。吉村公三郎監督(大映配給)と澁谷実監督(松竹配給)。この競作がともに好評を博したというのだから驚きだ。
獅子文六の作品人物はキャラクターがはっきりしているから、活字の世界から実写の世界に飛び出すにはうってつけなのかもしれない。

2017年3月30日木曜日

小沢信男『ぼくの東京全集』

三月も終わりかけたある日、東京駅からバスに乗る。
[都05]という系統番号の晴海埠頭行き。東京国際フォーラム、有楽町駅前を経て銀座を突き抜ける。晴海通りをバスに揺られているとちょっとした観光気分だ。朝から晴れて天気もいい。気温も高い。こんな日は事務所のある築地で降りないでそのまま勝鬨橋をわたって「島」まで行ってみたくなる。ちょうどいい具合に東京駅で買った昼の弁当をリュックに忍ばせている。なんてことはしないでもちろん普通に出社する。
センバツ高校野球は関西勢が強い。昨秋近畿大会と明治神宮大会を勝った大本命履正社のみならず、近畿大会4強の大阪桐蔭、同じく8強の報徳学園の3校が準決勝まで勝ち進み、決勝は大阪対決となった。近畿大会準優勝の神戸国際大付属が初戦突破ならなかったものの、智弁学園、滋賀学園もひとつ勝ち、近畿勢のレベルの高さを思い知らされる。
東京からは早実と日大三。
日大三はいきなり履正社と当たる。主戦投手が最後力尽きて、履正社の猛打を浴び、大敗。昨秋の早実戦に続いて履正社の破壊力を見せつけられた。早実は投手力が課題のままセンバツを迎えた。持ち前の打力だけでは全国は通用しない。
東京は来月1日から春季大会がはじまる。両校ともとりこぼすことなく勝ち進んで、関東大会に駒をすすめられるといい。夏の大会のシード権を逃してしまって神宮に来る前に直接対決ということだけは避けてもらいたいものだ。
ちくま文庫が例によってツイッターでおすすめするものだから、この本を買ってしまった(実は紙の本を買うのは久しぶりなのだ)。興味深そうなタイトル、ながめるだけでわくわくする目次。にもかかわらずあまりおもしろいと思えなかった。作者は詩人であり、俳人であり、目の付け所がユニークなんだけど文章が僕には読みづらかった。いつも読んでいる文章とはちょっとちがう感じがするんだ。もう少しこの著者の本を読んでみてから手にとればよかったかな。

2017年3月27日月曜日

森枝卓士『カレーライスと日本人』

築地のコンワビルの地下にRASAというインドカレーの店がある。
コンワビルは晴海通りに面した銀座松竹スクエアと旧電通本館ビルの間、高速道路沿いにあるビルだ。南側の角に活字発祥の碑がある。明治6年に建てられた東京活版製造所がここにあったらしい。
出版社に勤める友人が「このビルに精美堂という写植屋さんがあって、何度も通った」と言っていた。僕も広告会社にいた頃、新聞広告や雑誌広告のフィニッシュ(版下制作)を精美堂にお願いしていたし、つい数年前にも雑誌広告の製版を依頼した(すでに高輪に移転していたが)。
30年くらい前、築地に大手の広告会社があった(というかそれは電通だ)。制作会社の駆け出しのCMプランナーだった僕は毎日のように築地に出かけていた。午前の打合せが長引いて、昼食を摂る時間がなくなったときはたいていRASAに駆け込んでカレーライスを食べていた。カウンターの左右に目をやるとやはり同じような境遇の人たちがいた。昼食難民化した広告会社の社員か、そこに出入りする関連会社、制作会社の人たち。
その広告会社が築地から明石町、汐留と移転を重ねても、RASAはずっとコンワビルの地下にとどまり、築地界隈の忙しい人種の胃袋を待ちかまえていた。誤解がないように申し上げておくとRASAは決してファーストフードではない。時間に余裕のある人だって訪れる。すべてのお客さんがあわただしくカレーを飲み込んでいくわけではないのだ(ビールの小瓶で喉をうるおす人だってたまに見かけた)。辛さだけではなく、味わいも深い。時間がないときサクッと食べられるだけの店ではない。時間がなくてもおいしいカレーライスが食べられる店なのだ。
カレーライスが如何にして日本の食シーンにあらわれたか、この本を読むとよくわかる。
そういえばカレー好きだった叔父がなくなって3年になる。どうりでこの一週間ほどカレーが食べたくて仕方なかったわけだ。

2017年3月19日日曜日

山本周五郎『深川安楽亭』

本所と深川の境はどのへんなのだろう。
墨田区が本所で江東区が深川という説もあるようだが、墨田区千歳と江東区新大橋、森下あたりの複雑な区界を見るかぎり、そう簡単には線引きができないこともわかる気がする。
本所両国から深川に向かって歩いてみる。
深川は川の名前ではない。徳川家康の時代、この地を拓いた深川八郎右衛門の名前が由来だという。意外な真実だ。沼田という土地があって、沼だらけだからと思っていたら昔この地に住み着いた大豪族が沼田さんだったみたいな話だ。
さて両国から深川に歩くとして、どこを最終目的地にするか。とりあえず深川の最果てにたどり着きたい。ところがやっかいなことに時代とともに深川は海へ海へと進出していく。行政上の区分でいえば豊洲や有明の方まで深川なのだ。
東に目を向けてみる。どうやら横十間川あたりまでが深川でその先は城東と呼ばれる地域らしい。ということで暫定的にというか当然かもしれないが、深川の最果てを越中島とする。両国から越中島までなら歩ける。それに道々楽しそうじゃないか。
両国駅から回向院に立ち寄り、清澄通りを南下する。森下あたりから深川だ。高橋、清澄庭園を経て、門前仲町へ。昭和30年頃の地図では深川門前仲町、深川富岡町、深川越中島と現在の町名に深川が付いている。神田みたいだ。おそらく旧深川区が統合して江東区になったとき、町名に深川を残したいという住民の意見が反映されたせいではないだろうか。
人もクルマもにぎわう門前仲町の交差点を過ぎれば、最果ての地越中島も近い。枝川方面へ左折する交差点の歩道橋の向こうに東京海洋大学(旧東京商船大学)が見えてくる。
深川安楽亭はどこにあったのだろう。抜け荷をする連中が集まる場所だから運河にかこまれた辺鄙なところにちがいない。深川木場あたりかそれとも深川佐賀町か。
そんなことを考えるともなく歩いているといつしか相生橋に差しかかる。
深川の果ては佃島と橋でつながっている。

2017年3月14日火曜日

川端康成『遠い旅・川のある下町の話』

情けない話であるが、ここのところリアルな書店に立ち寄ることがめっきり減った。
そもそもリアルな書店という言い方からしておかしいのだが、リアルじゃない本がこれだけ世の中に流通しているのだから致し方ない。
母の誕生日になるとたいてい本を買う。もちろんリアルな本だ。装幀されていて、表紙があって、見返しがあって、遊び紙があってそれらに触れると紙であることがわかる本。手にとると重さを感じられる本。
先だって、新宿の紀伊国屋書店で母にも読めるような昔の小説はないかと探していたところ、山口瞳の『居酒屋兆治』を見つけた。こういってはなんだけど、紙質もよくなく、粗末な装幀の本だった。もちろん値段もべらぼうに安い。
小学館から何年か前に出版されたP+D BOOKSというシリーズであると知ったのはつい最近のことだ。ペーパーバックス&デジタルの略であるという。全集など大掛かりな書物でなければお目にかかれなくなった名作を気軽に手軽に読んでもらおうという考え方から生まれたのだという。けっこうな企画ではないか。
電子書籍のショップで(もちろんネット上の)“下町”“川”などという検索ワードを打ち込んだところ引っかかってきたのが川端康成のこの本だ。書名の横にカッコ囲みでP+D BOOKSと付記されている。それが気になっていた。
「川のある下町の話」はNという川沿いの町が舞台になっている。
川沿いのN?
具体的な描写がほとんどないせいかとっさにイメージできない。日暮里か、日本橋か。大きな病院がある川沿いの下町というと築地界隈をイメージしてしまうのだが、この辺りは空襲を免れているから、たぶんちがうんだろう。さりとて深川あたりでもなさそうだ。
1955年に衣笠貞之助監督の手で映画化されている。義三は根上淳、ふさ子が有馬稲子、井上民子が山本富士子。まだ観てはいないけれど、これはほぼイメージ通りのキャストである。期待が高まるばかりである。