2017年7月26日水曜日

小霜和也『急いでデジタルクリエイティブの本当の話をします。』

1980年頃、すなわち僕が大学生だった当時、デジタルと名の付くものといえば時計くらいしかなかった。
今ではあらゆるものにデジタルという言葉が付く。カメラはデジタルカメラになった。デジタル家電なる製品も一般的なものとなった。有形物でなくてもデジタルマーケティングなる方法論も生まれた。
デジタルクリエイティブは少し違うような気がしている。それは方法論としてデジタル化された手法を意味するのではなく、デジタル化のすすんだ世の中でどういったコミュニケーションが有効かを模索する考え方なのではないかと思っている。
そもそもクリエイティブという仕事は課題解決のための方法のひとつで視聴覚=感性を刺激する高速で平易なコミュニケーションであり、そのためのアイデアの集積回路みたいなことかなとずっと思っていた。
方法論としてのデジタルクリエイティブの端緒はコンピュータ上であらゆるデザインや動画の加工・編集ができるようになったことではないだろうか。センスのある職人の手からセンスのある人の手にクリエイティブは譲渡された。手仕事のデジタル化だ。写植文字を切り刻んで素敵なボディコピーをレイアウトする仕事がなくなり、フイルムをひとコマずつ切ってつなぐ職人技が意味をなさなくなった。
あくまで方法論の話であるが。
デジタルクリエイティブとはデジタルな環境下でより効果的な広告表現ということか。それは(ある程度まで)計測可能で、PDCAがまわせるシステムであり、まさに「運用する」クリエイティブである。そのためには総合系エージェンシーとデジタル系エージェンシーとの融合が欠かせないという。
もちろん筆者の出自はデジタルでなく、クリエイティブだからクリエイティブ寄りの見解が多い。「デジタル系エージェンシーはこれまでクリエイターを育ててこなかった」と一刀両断されているもともとデジタル系の方はこの本にどういった反応を示すだろうか、興味深い。

0 件のコメント:

コメントを投稿