2017年2月21日火曜日

四方田犬彦『月島物語』

20数年前に月島を歩いた。
月島に住んでいた大叔父が南房総館山に移り住んだ後だ。
中学生の頃、夏休みの工作に必要なラワン材を切ってもらいにおじちゃんを訪ねたのが最後だったか。だいたいこんな本箱をつくりたいのだと紙に描いたところ、おじちゃんはわかったわかったと言って、長屋の向かいにある作業場へ行って木を切るどころか釘まで打って完成させてしまった。ひと晩泊まって翌日出来上がった本箱を持って帰り、砥の粉で目止めしてニスを塗った。あっという間に技術家庭科の宿題は終わった。
おじちゃんの家は玄関の右手に二畳ほどの板の間があった。誰かいるときはたいてい鍵が開いていた。月島の長屋は(全部見てまわっちゃいないけど)ほとんどそうだった。
月島では「おはよう」とか「こんにちは」という日常的な挨拶言葉が発達しなかったという。ガラガラと玄関の引き戸を開けて「いる?」というのが挨拶だった。
四方田犬彦の月島考察を通じて、記憶の土砂に埋もれていた月島がよみがえってきた。
中学生以来ふと立ち寄った月島で、おじちゃんの住んでいた長屋の前まで行ってみた。昔だったら風呂屋の先のガソリンスタンドの脇の路地とすぐにわかったのに、すでに目じるしはなく、不安な思いで入り込んだ。どこからか女性があらわれ、怪訝そうな視線を投げる。
昔親戚がここに住んでいて、近くまで来たのでついなつかしくなって訪ねてきたみたいなことを話す。渡辺さんはずいぶん前に引越しましたよ、千葉の方になどと言う。そんなことは重々承知なのだが、もう住んでいない親戚の家を訪ねてきたという行為はまあ、常識的にも月島的にも理解されなくて当然だ。
大叔父は月島という町を通り過ぎていった人に過ぎず、僕を不審に思った女性だって月島を通り過ぎていくだけの人だろう。ある日突然東京湾にあらわれた埋立地月島はどこからともなく人が集まってきて、やがてどこかへ去っていく、そんなはかない町なのかもしれない。

0 件のコメント:

コメントを投稿