2016年11月23日水曜日

マーク・トウェイン『ハックルベリー・フィンの冒険』

読書の記録を残すようになってずいぶん経つ。このブログだけでなく読書メーターというSNSも利用している。
半年前、一年前に何を読んでいたかがすぐにわかる(もちろんさらにさかのぼるることだってできる)。ブログの方は読んですぐに書くなんて洒落たことはできない。タイムラグが生じる。それはそれで致し方ない。
ただ半年前、一年前をふりかえって見たとき、半年後一年後にこんな本を読んでいたのかとは想像すらできない。そこがおもしろい。本を読むとはあてもない旅なんだと思う。
仕事でどうしても本を読まなければいけない人もいる。僕だっていつも冒険小説や時代小説ばかり読んでいるわけじゃない。そういうのは趣味娯楽ではなく仕事なんで読書とは違う。
一年前は何を読んでいたかというと司馬遼太郎の『世に棲む日々』だ。『竜馬が行く』、『燃えよ剣』、『花神』を読み終わって、もう少し幕末にとどまろうか、『坂の上の雲』に行こうか思いめぐらせていた頃だ。
半年前は『大地の子』や『64(ロクヨン)』を読んでいた。その後、村上春樹の未読のエッセーを読んだり、初期の作品を読みなおしたり、スタインベックの『怒りの葡萄』を再読したりして現在に至っている。紆余曲折も甚だしいが、どういう経路でハックルベリー・フィンにたどり着いたのかまったくわからない。スタインベックに触発されたのと大統領選の過熱する報道がアメリカ文学の原点に向かわせたのかもしれない。
読み終えた一冊が無意識のうちに次の一冊へ導いていく。そういうことはたしかにあるし、テレビのニュースやネットで知るさまざまな情報に導かれているのかもしれない。
いずれにしても僕の読書は根無し草みたいなものだ。ミシシッピ川に浮かぶ筏に揺られているようなものだ。流れ着いた町ではじめて出会う人たちと波乱万丈支離滅裂な事件に遭遇する。
こんなおもしれえことばっかあるんならおいらこれからも本を読みつづけるぜ。

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