2014年6月24日火曜日

吉村昭『戦艦武蔵』

Kは以前同じ職場にいていっしょにテレビコマーシャルの企画をしていた。今はアーティストとして活躍している。
昨年に続いて今年も個展を開いたので見に出かけた。ほぼ昨年展示した作品でそのことを指摘すると額縁を新たにつくったのだと言っていた。どうも芸術家の感性というものははかりがたいものがある。
広告会社HでクリエイティブディレクターをされていたIさんもKの個展に足を運んでくれたそうだ。Iさんは、CMプランナー時代からKの卓抜した才能に目をみはっていたひとりである。IさんとKの話でこんど僕も入れて3人でご飯を食べようという話になった。Iさんが自発的に幹事を買って出てくれて、スケジュール、場所を調整してくれて先々週それが実現した。
実をいうとIさんと僕とKはそんなにたくさんの仕事をいっしょにしたわけでもないし、長きにわたって同じ仕事をしてきたわけでもない。ほんの2~3本、お付き合いしただけ。さらに厳密にいえば、僕たちのなかで共通して思い出に残っている作品は1本に過ぎない。それなのに話が尽きないのだ。
還暦を過ぎたIさんは小さなメモ帳にボールペンで話題になっているキーワードを書き記す。
「こうしないと最近次から次へと忘れちゃうからね」
Iさんは広告会社をリタイアされた後はフリーランスとして広告クリエイティブの仕事にたずさわっている。広告づくりが根っから好きな人なのだ。
『戦艦武蔵』を読む。つくられる戦艦も巨大なら、ストーリーも壮大だ。
戦闘機中心の空中戦にシフトしていく戦争を予期しながら、どうしてこのような時代遅れの巨艦がつくられたのか。太平洋に沈んだのは4年という無駄な歳月と浪費された労力だった。カフカの「万里の長城」を思い出した。
Kはまた別の場所で個展を開いている。来月そこで現代美術のキュレーターの何某氏とトークショーをするという。Iさんも僕も行く予定だ。尽きない話には続きがある。

0 件のコメント:

コメントを投稿