2009年12月26日土曜日

齋藤孝『偏愛マップ』

高校の先輩が埼玉で歯科医をしている。
ずっと以前に猛烈な歯痛で駆け込んでからというもの、東武線に乗ってときどき治療に出かける。
先輩である先生はそのころようやくパソコンをいじるようになり、ひょんなことからぼくがパソコンに詳しい後輩だとレッテルを貼ってしまった。それからというものことあるごとに携帯電話が鳴る。エクセルで線を引くにはどうしたらいいのかとか、セルの中で改行するにはどうしたらいいのかとか。ワード、エクセルのヘルプをクリックするとぼくに電話がかかるように設定されてでもいるかのように。
実はぼくも仕事で使うアプリケーションはPhotoshopやIllustratorだったから、正直最初はとまどったのだが、パソコンの画面を見ながら先輩の質問に答えているうちにワードやエクセルの使い方がわかってきた。人に教えるというのはなかなか勉強になる。
先輩はどちらかというと自ら進んでで勉学に励むタイプではなかったと聞いている(聞かなくてもじゅうぶんわかる)。おそらく高校生時代から誰かに聞けばいいや的なお気楽スタイルを貫いていたのだろう。そのせいか、妙に質問が上手い。先輩のわからないことがよくわかるのだ。世の中には質問下手が多くいる。何を訊ねたいのかわからない人。その点先輩先生はなかなかの才能の持ち主である。

齋藤孝は教育学者であり、かつコミュニケーションの発明家である。
読書論あり、日本語論あり、思考法ありとその著作は多岐にわたるが、基本は身体論をベースにした教育方法論とでもいうべきか。
ぼくが学生時代(恥ずかしながら教育学部だった)にはこんな先生はどこを探してもいなくて、それだけでも今の学生さんたちは楽しいだろうと思ってしまう。もちろん同じようなテーマで教育学やコミュニケーション論に取り組んでいた先生もいたのだろうが、齋藤孝ほど明快な主張を展開できるものはいなかったのではないか。氏の優れた点はネーミングだったり、キャッチフレーズだったり、言葉を支配していることだと思う。
礎となる理論と言葉をあやつれる自在性があって、はじめて発明ができる。才能と汗だけではないと思う。

今年の本読みはこれでおしまい。
年末年始はあわただしいから読んでもあまり身にならない。ふだん読んでるものが身になっているかといえば、そうでもなく、たぶんあわただしいから読まないんじゃなくて、あわただしいから人は本を読むのではないかとも思う。
あわただしくないときは列車に乗って旅をするに限る。
では、よいお年を。

2009年12月21日月曜日

内田百閒『第一阿房列車』

この本も関川夏央の『汽車旅放浪記』に登場した一冊。
汽車旅ができないものだから、この手の本がすっと身体の中に入ってくる。今の精神状態の浸透圧に非常に合っているのだろう。
内田百閒は根強いファンに支えられている作家のひとりとは知っていたが、ぼく自身手に取ることはなかった。まさかこんな痛快なおじさんだとはつゆも知らなかった。
本書で紹介されている御殿場線はいつだったかぼくも興味があったので乗り潰しに行ったことがある。御殿場線はもともと複線化していた東海道本線が丹那トンネル開通にともないローカル線に格下げされ、単線化された路線でいまだに複線時代のトンネルの跡があったりして興味深い。SLの主役はぼくの好きなD52だった。
先週25日朝9時納品の仕事が決定。24日は遅くまで作業に追われそうだ。こんなことでは『第二阿房列車』も読んでしまいそうだ。


2009年12月18日金曜日

夏目漱石『三四郎』

今年も残りあとわずか。区内体育館の卓球の一般開放もあと2回。
今年は1月から週イチペースでラケットを振ることができた。3月にわき腹の肉離れにおそわれたが、それ以外は大きなけがもなく無事過ごせたことはなによりである。
最近ときどき上級者の方とフォア打ちをすることがある。ボールを当てるだけじゃだめで、打ち抜かなければいけないとよく指摘される。ただ相手に合わせて当てて返しているだけらしい。
なんとなく仕事と卓球は似ている、ぼくの場合。
関川夏央の『汽車旅放浪記』に触発されて、いまさらだけどまた夏目漱石を読んでみることにした。
漱石に限らず、日本の近代文学にあまり興味を持たないぼくであるが、漱石を読んでみると彼がすぐれたストーリーテラーであることがよくわかる。難しくなく深い文章技術がそのおもしろさをささえているのだろう。これは明治の青春小説だいわれるとなるほどと合点がいくし、どんな本かと問われたら誰もがそのようにこたえるだろう。それくらい現代人にも通じる共通感覚を内包する作品だ。


2009年12月13日日曜日

糸井重里編『いいまつがい』

子どもの頃は、湿疹がひどかったらしい。
「らしい」というのは記憶にない頃の話だからなのだが、とにかく赤ん坊のときはものすごい湿疹でいろんな薬を塗られていたという。母親は手が自由になると掻いてしまうからと寝巻きをシーツに縫いつけたりしたそうだ。が、敵もさるもの、不自由な手はそのままに首をまわしてシーツに顔をこすりつけていたという。われながらかしこい子どもだったんだなあ。
そんなわけで今でも千倉の親戚の年寄りたちは、おまえは小さい頃はデーモンチィチィ(湿疹=できものがいっぱいできた子どもという意味の方言であろう)でひどかったけどよくなったなあと会うたびにいう。半世紀もさかのぼる話をよくもよくも繰り返してくれる。
今でいうアトピーともちょっとちがっていたようで、話を聞くとカサカサというよりジクジクしていてまさに“湿疹”という語が適切な感じだったらしい。今はすっかりそんなものはできなくなって、強いていえば夏場にひざの裏とかひじの裏辺りにあせもができやすい。乳幼児期のなごりだと思っている。
この本が世に出たときは少し話題になったし、書店で立ち読みもして、思わず笑ってしまったものだ。でも、まさか今日まで生きながらえて新潮文庫の一冊になるとは思いもよらなかった。
立ち読みしかしていなかったし、文庫化されたと聞いたのでこれはきっとちゃんと読んでみる価値ありと踏んで先日購入一気に読破した。
やっぱりこういう本は立ち読みに限る。


2009年12月9日水曜日

関川夏央『汽車旅放浪記』

仕事に疲れると旅に出たくなる。
別段、温泉に浸かりたいとか、楽しみを見出す旅ではない。列車に乗れればそれでいい。
昨日仕事で名古屋に行く用事ができた。打ち合わせは夕方から。こんなチャンスは滅多にないと思って、時刻表をめくる。
東京駅発10時33分発の快速アクティー熱海行きに乗り、以後、沼津行き、島田行き、浜松行き、豊橋行き、大垣行きと乗り継げば名古屋着16時58分。こんな理想的な旅はない。
が、現実には昼前から別の打ち合わせを組まれて、あえなく計画は未遂に終わった。

以前『砂のように眠る』という作品を読んで、関川夏央という作家は本格派のノンフィクションライターだという印象を持った。
この本は鉄道マニアを自称する作者が自身の思い出をほどよい味付けにして、文学上描かれた鉄道旅行を追体験するといった内容だ。漱石あり、清張あり、主要幹線あり、ローカル線あり、市電あり、鉄道好き(時刻表好き)にはたまらない一冊。
単なる鉄道マニアと作者の異なるところは精密な調査と文学作品の読み込みがベースになっているところで、ここらへんがプロフェッショナルなんだなあと感心せざるを得ない。
関川夏央はやはり骨太の作家なのだ。

結局、名古屋はのぞみで往復した。時間や利便性を金で買うほど貧しい旅はないと思う。


2009年12月3日木曜日

津原泰水『ブラバン』

なんだかんだ言っているうちに12月だ。
先行き不安のままスタートした2009年がもう最後の直線を迎えている。なんだかんだ言って、それなりに仕事も忙しかったし、やはり一年というのはなんだかんだ言っても過ぎていく。
先週、もともと腰痛持ちの家内が激痛に襲われて、寝込んでしまい、家事やらなにやらいつもまかせっきりのぼくも子どもたちもちょっとあたふたした。いつもうちのことなどこれっぽっちもしない下の娘が夕食の支度を手伝ったり、洗いものなんぞしてくれたようで、こっちのほうが驚かされた。
さいわい、痛みはひいて、なんとかふつうの生活に戻ったが、子どもたちも怠惰な日常に戻ってしまった。
ここのところ、“広島もの”が多い気がするが、偶然だ。
この本は高校時代の吹奏楽の仲間たちが25年後もういちど演奏をしようと再会する話。ありがちな話だが、青春をふりかえる物語にはずれはない。ただ帯にプリントされていたようには感動はしなかった。