2009年8月28日金曜日

玉村豊男『今日よりよい明日はない』

今週は8月の第5週ということで体育館の一般開放はなし。久々に卓球をしない週末である。
というわけでその間イメージトレーニングに励もうと国際卓球連盟のホームページで先に行なわれた韓国オープンの映像を観ることに。
すでに報道されているようにこの大会は世界ランク1位のワン・ハオら中国の強豪も参加していたにもかかわらず、全日本チャンピオン、明治大の水谷隼がなんと決勝で世界ランク9位のハオ・シュアイを破って優勝したのだ。水谷の、持ち前の“柔らかい卓球”にハオ・シュアイは手こずり、ミスを連発。世界ツアー初優勝のかかるプレッシャーのなか、水谷が本来ののびのびしたプレーで圧倒した。ハオ・シュアイは準決勝で精彩を欠く王者ワン・ハオを破ったまではよかったが、その勢いを活かしきれなかった。
ワン・ハオは世界選手権後中国超級リーグを経て、中国オープンこそかろうじて征したものの、映像で見る限り、どうも本調子ではなさそうだ。それにしても水谷には大きな自信になったのではないだろうか。
で、玉村豊男は、ひとことで言えばうらやましい男である。
特に力むわけでもなく、なんとなく微笑んでいるだけで日々が豊かに過ぎていく。そんな印象がある。もちろんこうした温厚な表面の内側にはものごとをひっくり返して見たり、ちょっと高いところから俯瞰して見たりするシャープな洞察力とそこから得た私見をシャープな言葉に定着させるすごいエネルギーを秘めている。とりわけ玉村豊男の本で好きなのは言葉がきちんと選ばれているという点だろう。惹句とか生甲斐、軋轢、蒐集、涵養など読んで意味のわかる熟語は積極的に使うし、植物の成長は生長と表記する。
こういう人が友だちだったりすると人生もまた少し楽しくなるんだろうな。


2009年8月26日水曜日

中川淳一郎『ウェブはバカと暇人のもの』

夏の甲子園も終わった。
今年は群雄割拠というか下克上というか波乱に満ちた試合が多く、じゅうぶんに楽しめた。今年に限った話じゃないとは思うが、特に今年は各チームの“成長力”が鍵を握っていたように思う。
昨秋の時点で高校野球の頂点に立ったのは慶応義塾(神奈川)だった。その明治神宮大会の準優勝が天理(奈良)。天理は初戦で中京大中京をにコールド勝ちしている。が、その慶應も天理も春の選抜では早々と敗れ去った。勝ったのは秋初戦敗退の清峰(長崎)。準優勝はご存知菊池雄星の花巻東(岩手)。ところがこの夏、清峰、慶應は予選敗退。東東京では国士館、西東京では早実が敗れ、春以降力をつけてきた帝京、日大三が猛打で圧勝した。
花巻東は春の東北大会を初戦で敗れたものの、岩手大会を春夏と連覇し、着実に力をつけてきた。こうした例外をのぞくとこの夏の大会は昨秋、今春と力を発揮できなかったチームの台頭がキーワードだったと思わざるを得ないのである。中京大中京は春、愛工大名電に苦杯をなめているし、日本文理(新潟)も北信越大会では初戦で負けている。
とかく高校野球は監督だ、とか伝統校は強いと思われがちだし、激戦区を派手に勝ち進んできた学校に注目が集まりがちだが、今年のような場合、各校がどれだけ練習を積んで、チーム力をつけてきたかを的確に判断しないと予想は難しかっただろう。新聞社などマスコミ泣かせの大会だったのではないだろうか。
さてこの本だが、タイトルだけ奇抜な新書だと思っていたら、見事に期待をはずしてくれた。
週末、卓球をやっていると、いるんだよね、スポーツアドバイザーと呼ばれ、区の連盟やクラブチームから派遣される指南役や上級者のアドバイスを受け容れない人って。あなたからなんで指示されなくちゃいけないんですか、私は私の好きでやっているんですから!みたいな人。おおむね、ネットの書き込みとかブログとかってそんな人たちに支えられているんですね。人のことはいえないけど。
本書では、ウェブのコミュニケーションは居酒屋の会話であるということが語られている。それを前提に活用すべしというネット全盛時代に対する快いアンチテーゼだ。メディアの主役はテレビであるというのもなんとなくほっとする。
ただテレビCMが効かなくなった話の反論としてブログのネタとしてはテレビがダントツの主役っていうのはちょっと飛躍があるかな。まあ番組コンテンツも広い意味でCMといえば、たしかにそうなんだろうけど。
それにしても居酒屋で高校野球の話で盛り上がるのっておやじ冥利に尽きる。

2009年8月24日月曜日

佐々木良一『ITリスクの考え方』

今月はクラス会のほか、高校時代の硬式野球部の同期会もあり、野球部でないにもかかわらず、夏になるとぼくが神宮だの大田だの江戸川だの足を運んでは野球部の連中にたまに会うことから、準硬式野球部員として招待されて、先週の金曜日、六本木の焼き鳥屋に集まった。この焼き鳥屋は店長が同期の主将である。友だち甲斐のない他のメンバーからいちばん多忙な金曜日に会を設定され、主将はひたすら焼き鳥を焼くだけ。主将は嘆く、「だから日曜にやろうぜって言ったじゃねえか」と。
当時の名二塁手のKが必死に働く主将を見て、「あいつすげえな。もう30年も焼き鳥焼いてるんだぜ」と言う。さすがにセカンドらしい気の回し方だが、まあそういうKだって30年近く夢をカタチにするF通に勤務してんじゃん。それも立派なことだよ。
翌土曜日は午前午後と体育館をはしごして一日じゅう卓球をやった。フォア打ち、バック打ちと基本練習が主体。台上のつっつき打ちがうまくなるともっと卓球はおもしろくなるかもしれない。とは思うもののなかなか反復練習する機会がなく、身に付かない。
いわゆる解説書で情報セキュリティを読み解くのも難しい(というかかったるい)。そこでできれば新書とか選書みたいな読み物で興味を持続できる本はないかとさがしていた。
で、この本を読んでみたんだけど前半はよかった。2000年問題を事例に取り上げたりしてリスクマネジメントの基本的部分はよくわかった。
後半はわからなかった。難しかった。“ITリスク学”という学問分野の構築を著者はめざしているのであろう。実務的な学問の新ジャンルであることはわかる。が、ちょっと複雑でついていけなかった。
何ごとも応用ってやつは難しい。

2009年8月18日火曜日

船本弘毅『図説地図とあらすじでわかる!聖書』

今月はじめに高校のクラス会があった。さすがに卒業して30年近くもなるとだいたい出席するメンバーも固定化されてくる。前回、前々回と欠席していたが、こまめな幹事が連絡をくれて、久しぶりに顔を出した。
もともとぼくのいたクラスには東大に行ったやつとか、野球部のエースだとか、とびきりの美人とか、めちゃくちゃ出世したやつとか、実は他のクラスにはひとりふたりいるような存在がいない。飛びぬけて偏屈なやつはぼくかもしれないが、それでもまあ大人しいくらいな偏屈さで学年全体で目立つというほどでもない。要は東京都にとって画期的なアイデアだったところの学校群制度を縮図にしたような平均的で冴えないクラスだったのだ。
そんな冴えないクラスにあって、もしかすると唯一抜きん出た才能を持ったのが男子女子にひとりずついる“幹事”かもしれない。わがクラスの幹事は冴えない不動産屋のような男子(別段不動産業を揶揄しているわけではなく、、たまたま彼が大手の不動産会社に勤務しているから言っているだけだ)とどこかの商店街の世話焼きのおばさんのような女子とが卒業してからほぼ永久幹事的に働いてくれている。しかも多方面ではどうだかわからないが、幹事としてはなかなかの、というよりかなりすぐれた才能とセンスを持ち合わせている。
でもすごい幹事がいるだけのクラスってのがやっぱり冴えないクラスなんだな。

よくホテルの引き出しに聖書が入っていて、たまには読んでみようかなとも思わないわけではないが、たいてい旅先では酔っ払っているし、なかなか実行に移せないままいい歳になってしまった。
なんで聖書を読んでみたいのかを考えてみるとやはり海外の小説を読んでいて、聖書の知識があれば、とてつもなく小さな級数の註釈を読まなくてすむな、とか絵画や彫刻など教会美術を鑑賞するのに(それも滅多にないことではあるけれど)聖書の知識があるといいよなという程度のことなのだ。その点でできるだけお手軽に読みたいという欲求にこの本は応えてくれている。
紙数の制限もあっただろうが、さらにもっと噛み砕いてくれていてもいいとも思ったが、単元ごとにほぼ決められた字数でまとまっているのと世界史の教科書のような淡々とした(それはこちらの受け取り方の問題でしかないが)文章も理解の即効性という意味で“いい感じ”だったと思う。
でも、まだまだほんとの聖書は奥行きとそれ相応のたたずまいがあるのだろうな。


2009年8月15日土曜日

玉村豊男『パリ・旅の雑学ノート』

年に一度、南房総に行く。
かつて安房郡白浜町千倉町の町境のあたりだ。小学校に入る前から祖父に連れられ、姉と3人で両国から汽車(その後しばらくして電化されたが)に乗って千倉駅に向かう。さらに国鉄バス(当時)で乙浜という停留所で降りる。そこに父の実家があった。だいたい3週間から1ヶ月をそこで過ごす。バスで千倉方面に戻ると白間津という集落があり、そこには母の実家がある。
父の家は戦後建て直しているので今は誰も住んでいなくてかなり傷んでいるが、まあ生活ができないほどではない。一方、母方のそれは大正か昭和の初期に建てられた家で今となっては床も抜け落ちそうなほど朽ちている。
ぼくは母方のいとこたちとよく遊んだのでどちらかといえば思い出深いのは白間津の家で毎年必ず誰もいない座敷にあがって仏壇に線香を上げている。近所にいとこ夫婦が住んでいるのでときどき窓を開けて風を通してくれているらしい。けっして廃屋というわけではない。古い家の柱にはぼくたちが子どもだったころ貼り付けたお菓子のおまけのシールやいちばん年下だった叔父の購読していた漫画雑誌などがそのままになっている。誰も住んじゃいないがずっとみんなが住んでいるのだ。
今年も昨日日帰りで墓参りに行ってきた。
両国発の汽車は京葉線東京発のさざなみ号に変わり、千倉駅はコンクリート製の駅舎に変わり、バスから眺める景色も少しずつ変わった。コンビニエンスストアができ、ラーメン屋が増え、前近代的なこの町に不似合いなペンションなる宿泊施設がそう違和感をもたずに存在していた。バスのなかも長いこと東京で生活している帰省者や旅行者が増えた。そのせいか純粋地元のおばあさんが乗り込んでくると思わず自分の祖母か伯母かとハッと目を見張ってしまうのである。電車もバスも心なしか南房総の方言を聞くことが少なくなったような気がする。
ああ、それにしてもパリに行きたい。
まあ、パリじゃなくてもいいんだけど(むしろパリじゃない方が好きだったりするんだが)、リヨンでもナンシーでもサン・マロでも実はどこでもよかったりするんだけどね。ヴァカンスシーズンの、日が長くて、空気が乾いた天真爛漫な季節のフランスならどこでもいいから行ってみたいんだよね。
玉村豊男は雑誌のコラムなどで拝読するのだが、一冊まるっと読んだことはなかった。
写真などで見る限り、とても都会的なインテリジェンスを感じるのだが、文章もご多分に漏れず洗練されていて、ウィットに富んでいる。こういうのをエスプリっていうのかな。
この本に関していえば、まずは着眼点が素晴らしい。観光ガイドでなく、街を楽しむ本というスタンスに徹している。このことがなによりうれしい。パリに行くなら、こうした旅行にしたいなあ。

2009年8月13日木曜日

杉山利恵子『フランス語でつづる私の毎日』

すごい地震があってびっくりした。目覚まし時計じゃ起きない人も家じゅう揺らせば起きるんだと思った。
雨で二日流れた甲子園。しばらくは天気は安定するんだろうか。
それにしてもここ何年か、お盆の墓参りの頃になると仕事が増える。まあ、何もないよりいいか。
2004年の上期に放送された杉山利恵子とミカエル・フェリエによるラジオフランス語講座初級編はなかなかよくできていたようで、その後何度も再放送された。テレビ講座ではやや緊張気味でぎこちない感のある杉山利恵子だが、ラジオではリラックスしていて、とても聴きやすく、わかりやすかった。とはいってもこの講座をぼくは通しで聴いたわけではなく、当時持ち歩いていた小型ラジオで時折聴く程度の不熱心なリスナーだったのだが。
新しい人か古い人かと問われれば、ぼくは当然、もう古い人間で、かといって鶴田浩二のように何から何まで真っ暗闇というほどは古くはないけれど、よしだたくろうに言わせれば確実に古い水夫だろう。当時は新しい水夫だと思っていたんだけどね。
新しい人が語学を学ぶ上でどういう方法論が今あるのかはよくわからないが(たぶん聴いたらすぐに声に出す“シャドウイング”とかするんだろう)、古い人の語学の基礎は“書く”ことにあるんじゃないかと思っている。書かないことには単語ひとつも憶えられないというのが古い人の習性なんじゃなかろうか。少なくともぼくはそうやって育ってきた。もっと古い人は辞書を食べて憶えたというがその真偽は定かではない。
たしかにここ何年か継続的にラジオを講座を聴いてきたけれどもいっこうに上達しないのは、ひとえに“憶えない”からだという自覚がある。ノートをつくって書けばいいのだろうとは思う。でもなかなかこの歳になるとノートを開いて鉛筆を持って本腰を入れて勉強するって時間はつくれないのだ。もちろん時間はつくることはできるだろうが、そういう精神状態に自分を持っていくのが非常に難しい。
この本はフランス語で日記をつけましょう、毎日少しずつ書くことでフランス語を身近なものにしていきましょうというコンセプトなんだろう。ちょっと渡りに船的な感じがしてひととおり目を通してみた。いくつか文章を拾って手帳にでも書きとめればいいんだろうなあ。
ちょっと誤植があって、それだけは残念だった。

2009年8月10日月曜日

岩崎俊一『幸福を見つめるコピー』

このあいだ打合せで“元気ハツラツぅ”の“ぅ”は平仮名だよね、とあるCMプロデューサーに訊ねたら、何を言ってるんですか、片仮名ですよと自信満々に返されて、ぼくの記憶力も衰えたもんだとへこんでいたんだけど、CMを見たらやっぱり平仮名だった。なあんだ、やっぱりそうじゃないかと思う反面、きちんと広告を見て、細部まで記憶していないCMプロデューサー氏の行く末を思って、ちょっと哀しかった。
間違っていてもいいと思うんだよね。ただそのときネットで調べるとか確認するとかすればまだよかったのにって思う。
仕事でそんなことにこだわっていると、まあいいじゃないですか、細かいことですから…なんて言われるんだけど、ぼくは表現者がつくった表現物には敬意を表したいと思うから、礼を尽くして見、礼を尽くして聴き、礼を尽くして記憶するべきだと考えている。いい加減に見ている方はどうでもいいことかも知れないが、つくり手にとってはそうではないと思う。
コピーライターとかグラフィックデザイナーってそういう矜持のある職であるはずだ。

コピーライター岩崎俊一と親しいCMプロデューサーは氏のことを大先生という。
還暦を過ぎ、日本の広告クリエーティブの第一線でいまだ活躍されているそのバイタリティたるや凄まじい。
岩崎俊一も本書で書いているが、すぐれた広告表現というのは発明ではなく、発見である。見つけること。でもそれが難しい。
大先生は打合せしていても、なかなかコピーを書かないという。原稿用紙と鉛筆は目の前に置かれているが、打ち合わせ中にひらめいたことをすぐに書くということをしない。クライアントから提供された基礎資料を丹念に読み込み、広告会社の営業担当から、時には広告主からじかに話を聞き、商品のこと、商品をとりまく環境、人びと、空気、気分…、とにかくあらゆる表現の可能性を精査した上で、それでもまだ鉛筆は手にしない。「たとえば、こういうことかなあ」と京都の人だなと感じさせるイントネーションでまずはそっと扉を開ける。周囲にいる営業担当やプロデューサー、アートディレクターの反応をたしかめる。そんな打合せを何度か重ねてようやく、コピーを原稿用紙に記す。
大先生のコピーは時間がかかる。しかしそれは自分が行き着くことのできる極限まで広い世界へ翼をひろげているからだ。つまりは“発見の旅”に出ているからだ。そしてそこで“見つけた”ものをそのまま言葉にしない。じっくりと吟味し、いちばん届く、深く届く言葉を選ぶのだ。そりゃあ、手間ひまかかるよね。
それと、これはぼくだけが感じることかもしれないが、岩崎俊一のコピーはかつて広告制作会社(制作プロダクション)全盛期の時代のにおいがする。広告主が制作プロダクションに発注し、広告をつくっていた時代。日本デザインセンターやライトパブリシティがすぐれたグラフィックデザインを生産していた時代。クライアントとクリエーティブはもっと密な関係にあった。
最近の広告はテレビだwebだ新聞だクロスメディアだコミュニケーションデザインだととかく広告会社(広告代理店と置き換えてもいいが、ぼくは広告代理店という概念がもうとっくの昔に終わっていると思うのであえて代理店とは言わず、広告会社と呼んでいる)主導の表現が多い。メッセージよりしくみが重視されている。岩崎コピーにはそういった、言葉は悪いが、小細工は一切ない。
広告クリエーティブは、広告主の課題に真摯に取り組み、誰もがうんとうなずく発見を丁寧に(言葉でもビジュアルでも)定着させていく努力を怠らない限り、まだまだ未来はある。ベーシックな広告制作がケータイやネットの時代でも生き残ることができる産業であることを岩崎俊一は身をもって示してくれている。


2009年8月9日日曜日

浅川宏・鳰原恵二『図解よくわかるISO27001』

最近、広告会社による“情報セキュリティに関する説明会”とか“個人情報保護に関する説明会”みたいなものが多い。パワーポイントでつくられたレジュメを見ながら、説明を聞く、そんな集まりだ。
おそらくは経産省のガイドラインや規格が更新されたことで委託先管理の強化がもとめられているせいだろう。
もともと総務とか経理とか管理部門の仕事にあまり興味もないし、たぶん才能もなかったんだろう。昨今のコンプライアンスだのマネジメントシステムだのまったくといってほど関心がない。関心がないとはいえ、時代の要請みたいなところもあり、ひととおりの知識は必要だとも思うのである。
それにしても難しい本だ。図解でわかりやすいのが特徴らしいが、あまり効いている感じがしない。文章もところどころ難解だ。

>組織のISMSが規格その他の要求事項に適合しているかを示す適合性及び
>組織のISMS文書やセキュリティ目標達成の度合いを計る有効性も確認される。

「ISO27001の認証取得の実地審査によって」という一文が付加されるとわかるのかもしれないが、この文は何度読んでもぼくには理解できない。きっとそういう頭を持っていないんだろうな。
他にもいくつか主語が省略されていたりして、それだけでも情報管理って難しいなあという印象しか残らない本である。

2009年8月5日水曜日

大野茂『サンデーとマガジン』

週刊少年誌の歴史は浅い。まだ50年だという。おいおいそれってぼくと同い年じゃないか。
たしかにぼくの小さい頃は月刊誌が全盛だった。
倹しく育ったぼくの唯一の楽しみは月に一度近所の川上書店のおじさんがカブに乗って届けてくれる『少年』という月刊漫画雑誌だった。母は、ぼくが本と絵が好きだったのと自分の弟が美術大学に通っていたこともあって、漫画雑誌に関しては寛容だった。
当時の『少年』は「鉄腕アトム」と「鉄人28号」が連載されているひと粒で二度おいしい雑誌だった。
その後、小学校に入ってから『少年画報』に鞍替えしたが、定期的に漫画雑誌購読をするのは低学年のうちに終わった。週刊少年誌はその後ときどき眺める程度の存在だった。ぼく自身その後漫画に興味を持たなくなったから。それでもやはり当時の漫画誌はぼくら少年社会の中でパワフルな存在だった。
ぼくの記憶に残る週刊誌の漫画といえば、マガジンでは「巨人の星」、サンデーでは「サブマリン707」かな。
サンデーの元編集長がこんなことを言っていた。
「僕たちの時代は、本当の意味でのマンガの編集者なんて誰もいなかった。小さい頃はマンガなんてほとんどなかったんだしさ。誰もが手探りの中から、ことを成し遂げていったんだ」
これはテレビのなかった時代に育った人たちが手探りで番組やCMをつくってきた黎明期のテレビ制作者の世界にも通じる深い言葉だと思う。

2009年8月1日土曜日

重松清『ビタミンF』

卓球の開放日に出会ったK山さん。
毎月末の土曜日にやってくる。4ヶ月ほど前初めてお相手させていただいた印象は“先生”といった感じだった。
腕前もさることながら、打ち合いながら包容力を感じる。懐の深い人なんだと思った。
休憩をとり、煙草をふかしながら話し込んでみると御年80歳。若い頃は広島の中学校で教鞭をとられていたらしく、部活動の顧問となったのが卓球との出会いだという。その後、東京で某大学の教壇に立たれていたという。
現在はご子息家族が近所に住んではいるものの、奥方様を亡くしてからはひとりぐらしで気ままな毎日を過ごされている。楽しみは月に一度の卓球とミニテニス。そして年に一度のクラス会で広島の教え子たちと会うことだそうだ。
「いつまでできるかわかりませんが、汗をかくっていいもんです」
とヤニだらけの歯を見せて笑う。
K山さんのラケットは教員時代からずっと使っていたという年代ものだ。ラバーは赤というより白。
あんまり古びているのでこのあいだラバーを貼り替えてあげた。
「なんだかボールが“かかり”ますね。いいですよ、これ」
とヤニだらけの歯を見せて笑う。
その日は終了時刻いっぱいまでラリーを楽しんだ。
夏目漱石が出会った“先生”とはちょっと違うだろうが、こういう人生の先達にお会いできるだけでも体育館に通ってよかったと思う。

仕事場のロッカーを片付けていたら重松清の本が何冊か出てきた。おそらくこの本が最初に読んだものだと思う。タイトルの“F”はファミリーのFであるそうだ。
重松ワールドはどんより曇って湿度の高い遅めの午後といったイメージがあるのだが、ささやかな日常の薄暗い世界を重く重く描いている。最初読んだころは子どもも小さかったけれど、いつしかぼくもこの小説の登場人物にふさわしい年恰好になったんだなとふたたび頁をめくってそう思った。