2008年6月30日月曜日

山田祐介『レンタル・チルドレン』

仕事場のプライバシーマークの現地審査があって、改善点が送り返されてきた。プライバシーマークの認証を更新するには社内に個人情報保護の意識を恒常的に植えつけていかなければならず、日々やっかいなエビデンス(記録)をこまめに残させなければならない。
ぼくの仕事場は25人ほどの小さい事務所なのだが、協力的な人もいれば、まったく無関心な人もいる。いちばんやっかいなのは関心がありそうでいて、協力的な態度を装って、実はまったく協力的でないという輩だ。大概の場合、そういう人たちは個人情報保護のためのマネジメントシステムなんぞほとんど理解していない。そしてその手の人間には本を読まない者が多い。成毛真が本を読まない人はサルだといっていたが、サルだって字さえ読めれば本は読むだろう。より正しく表現するならば、「サル未満」というべきではないか。

また山田祐介を読んでしまった。
ちょっと難しい本を読んでいたので息抜きしたかったのだ。これも簡単な本だから、多少のはちゃめちゃさ加減には目を瞑って、とりあえずひまだから怖がりたいなあと思ったときに読むといいだろう。

2008年6月28日土曜日

ミシェル・アルベール『資本主義対資本主義』

中学生の頃は建築家になりたいと思っていた。
高校生になって、いくつかの教科でその方面に進学することが甚だ困難であるとわかって、文科系に転進した。勇気ある撤退だ。
そこで考えた。
文科系といっても何学部に行けばいいのか。そもそも工学部建築学科、みたいな具体的過ぎる目標イメージがあった割には、文科系学部に関してはほとんど無知で、いろいろまわりに訊いてみると法学部、経済学部、商学部、文学部などがあるらしい。今も大して進歩していないが、当時、世の中のことって複雑で面倒に思えたので、法律とか経済って難しいのだなと敬遠した。結局小学生の頃、よく先生に作文を褒められていたことを思い出し、文学部をめざすことにした。

そんなこんなでいまだに経済とかビジネスに関する本はほとんど読まない。この『資本主義対資本主義』は、たまたま先日読んだ成毛真の『本は10冊同時に読め!』の中でもっとも感化された本の一冊として紹介されていたので興味をそそられたのだ。
今は市場経済が世界の大きな潮流になっているが、そのきっかけとして著者はレーガン、サッチャー政権の税制改革をとりあげている。とはいえ、ヨーロッパにはヨーロッパの資本主義があり、アメリカを中心としたアングロサクソン型(さらにはネオアメリカ型)経済とヨーロッパを中心としたアルペン型(さらにはライン型)経済とに資本主義を細分化し、冷戦時代には模糊としていた資本主義の系譜を明快にして論をすすめるあたりは面白い。
著者はフランス人だが、大きくドイツ対アメリカという図式を用いながら、フランス資本主義のアイデンティティを問い直すというのが本旨なのだろう。思うに、本書の資本主義のベースにあるのは工業化社会である。工業主体の産業構造のみ着目したならば、日本もドイツも国土や資源の問題を考えると国家的プロジェクトで工業化社会が生後復興の第一義であったろう。フランスをはじめとしたラテンの国々やさらには中南米、アフリカは必ずしも資本主義=工業社会ではない。農業や水産業も含めて資本主義を問い直すとき、さらなる軸が見出せるような気もする。

翻訳はおそらく原文忠実になされているのだろう。機会があれば原書と見比べたいところもあった。翻訳というより同時通訳に近いのでワールドニュースの原稿を淡々と読むような気分で読んだ。
よく翻訳もので気になるのは、縦書きなのに「上に書いたように」とそのまま訳されていたり、原書が執筆された時点が明快でないまま「○○年前」みたいな記述をそのまま訳出していることだ。大学院の授業ならそれでよいだろうが、出版物とするなら配慮が必要だ。


2008年6月23日月曜日

松岡正剛『知の編集術』

本書の中で懐かしい名前を見た。
湯野正憲。
高校時代の体育の先生で日本でも有数の剣道の大家だと聞かされていた。いちど担当の、やはり剣道部の顧問をしていたM先生が休んだとき、ピンチヒッターで授業をしてくれたことがある。当時にしてすでにかなりのご年配で、当然のことながらいきなりみんなで走りまわったり、ボールを蹴りだしたりなどという授業ではなく、先生のお話をありがたく頂戴するという、ちょっと風変わりな体育の授業だった。
湯野先生は若い頃からスポーツ万能であらゆる競技に取り組んでいたのだが、あるとき剣道の師匠からそろそろ剣道一本にしぼって、その道を極めるべきだと叱責され、以後剣道一筋に生きたという。また、海に行っても、決して遮二無二泳いだりなどせず、仰向けになって波にたゆたっているだけなんだそうだ。そうして無の境地になると自ら呼吸をしなくとも、自然と空気が体内に入り、自然と体外に出てゆく。「鳴らぬ先の鐘」ではないが、先生はこうして心を静め、鍛錬を積み重ねてきたのだろう。かれこれ30年前の記憶なのであまり頼りにはならないが、そんなようなことを話してくれた。

松岡正剛は編集工学研究所を主宰している知の巨人である。氏の「千夜千冊」はぼくにとってはバイブル的存在で一冊の本から、自分の知や読書や経験を結びつけていく闊達な語り口はあこがれの的であった。ぼくが読んだ本に失礼のないように謝意を記録する試みをはじめたのも氏のサイトの影響が大きい(まあそれこそ雲泥の差というのはまさにこのことを言うのであろうが)。
著者の論旨が明快で動的に感じるのは、おそらく個々の編集技法やさまざまな方法に適切なネーミングを施しているからなのだと思った。新書だからと軽く読んでしまった。もう一度きちんと読み直す必要があると思う。
こんな知の世界がすうっと身体の中に入ってきたら、痛快だろうな。



2008年6月21日土曜日

山田祐介『あそこの席』

南仏カンヌでは国際広告祭が行われている。
昨日、フィルム部門のショートリストがホームページにアップされていた。いよいよ今日は最終日。グランプリが決する。
いま時分の南仏は気候がいい。日が長く、夜9時近くまで晴れて、気温は高いのだが、湿度が低くて、カラッとしている。それにひきかえ、日本の今日のような天気はなんとも重苦しい。

電車の中で読む本がなかったので、次女に買ってあげた文庫本を借りて読んだ。若い世代には受けている作家なのだろうか。
まあとにかく話の進展がはやい。ホラーにしては、次々にネタが明かされていくので、多少物足りないところはあるにせよ、手っ取りばやく結末にいたる。楽勝な本だ。強いてあげれば、ラストが大方の予想通りだったかな。

2008年6月19日木曜日

浅田次郎『霞町物語』

港区には古い地名が残っていたというのはなんとなく記憶にある。子どもの頃よく行った赤坂の伯父の家は丹後町という名前だったし、その後引越した六本木三河台公園のあたりは今井町だったと思う。今でも古いタクシーの運転手は龍土町とか高樹町などとよく使う。銀座も尾張町だの木挽町だの粋な町名があったそうだ。なかなか風情がある。
ぼくの中で浅田ワールドは2種類あって、ひとつはおとぎばなし系で『鉄道員』とか『地下鉄に乗って』のようなちょっとしたファンタジー。もうひとつは正攻法もの。飛び道具を使わずに書き綴った小説群だ。といってもさほど数多くの作品を読んだわけではないから偉そうには言えないが。
『霞町物語』は正攻法の自伝的連作短編集といったところか。舞台は麻布十番、霞町、六本木、赤坂、青山ときわめて都会的で洗練されている場所だが、これらは今風にとらえると都会的なだけであって、登場人物はいわゆる港区土着の原住民であり、物語はきわめてローカルな話だ。会話の描写などにその辺はあらわれている。
かつて都会の真ん中のあらゆるところに潜んでいたこうした田舎ものたちにぼくは心底あこがれちゃうんだな。

2008年6月18日水曜日

宇田賢吉『電車の運転』

昨今、鉄道が趣味としてクローズアップされているが、昔から親しんできた者にとってはさほど驚くべきことでもない。少なからず男の子であれば、巨大な装置産業である鉄道に一度や二度は憧憬を抱いたことはあるはずで、要はその傾注の仕方の質と量の問題なような気もする。
ぼくは趣味としての鉄道を「模型派」、「写真派」、「時刻表派」に区分している。しかし最近は運転シミュレーションゲームがヒットしたり、タモリ倶楽部や熱中人などテレビ番組の影響もあり、装置として鉄道にも注目が集まっている。
タイトルはそのものずばり、『電車の運転』。朴訥な題名だ。今時分の新書にしてはすさまじく質素だ。しかし「なぜ運転士は電車を動かし止めるのか」とか「誰でもわかる電車入門」みたいな興味本位な題名でないことが、この本の内容を如実に示している。
著者は国鉄時代から40年余にわたって運転士を務めてきた。その経験と教育から得た電車運転の実践を生真面目に語っている。発車から加速、力行、惰行、停止など運転の実際。そして動力(モーター)のしくみ、電力の供給方法から、ノッチ、ブレーキのしくみ、操作方法、さらに分岐器、信号機にいたるまで、運転士に必要な知識はほぼもれなく網羅されているのではないだろうか。

  規則とは、利用者にプラスをもたらすためにある。われわれも営業
  関係の規則はお客様のために柔軟に運用することがベストだと教
  育されてきた。それに対して、運転に関する規則は不便に思えて
  も四角四面に運用することが最終的に無事故につながると叩き込
  まれている。

のだそうだ。筆者が寡黙に日々の業務に取り組み、丹念に日誌を残し、メモをとっていたのだろうと思わせる。
読んでいて気になったのは、専門用語が順序だてて整理されていないことだ。突然難解な用語が出てきて、その解説が後まわしになっている箇所がいくつも見られた。まあこれは著者の問題ではなく、編集者の怠慢だろう。残念なことである。


2008年6月16日月曜日

辰巳法律研究所・柴原健次編『個人情報保護士試験公式過去問題集』

昨日、個人情報保護士の認定試験のために駒場の東京大学に行く。井の頭線で駒場東大前下車すぐ。この駅には降り立つのは実に久しぶりのことだ。
中学生の頃、近所に住む一学年先輩のIさんがこの界隈の私立中学に通っていることもあって、五月祭に誘われていったのがはじめて。二度目はたしか練習試合か公式戦かバレーボールの試合でやはりこの駅に近い国立の高校に行ったことがある。駅の北側、つまり教養学部側に降りたのは中学生のとき以来ということだ。
で、試験はどうしたかって?まあ野暮なことはきかねえで、一杯やんなよ。

ぼくの仕事場では一昨年にプライバシーマークを取得し、今年更新の手続をしたこともあって、JIS Q15001とか経産省のガイドラインはひととおり目を通してはいたのだが、この個人情報保護士の認定試験には法そのものの知識や今までとんと知らなかった情報セキュリティやリスクマネジメント、事業継続などの規格やガイドラインの知識も要求されるので勉強になったといえばなったし、やっかいだといえばやっかいだった。いずれにしても全日本情報学習振興会の個人情報保護士認定試験の準備としては、先に紹介した『個人情報保護士試験公式テキスト』とこの問題集を何回か往復すればこと足りる。
はずだ。

天気がいいので渋谷まで歩こうかとも思ったが、しばらく読んでいない本もあるのでふたたび井の頭線に乗った。



浅田次郎『地下鉄に乗って』

伯父が赤坂に住んでいたので、よく地下鉄に乗って遊びに行った。新橋から赤坂見附まで当時は2駅だったが、灯りが消える瞬間、毎度のように驚き、きしむレールの音に毎度のように閉口したのを憶えている。
当時木造建築のような赤坂見附駅に着くと、向かい側のホームにはよく絵本で見かける丸の内線がほぼ同時に滑り込んできてうまい具合に連絡していた。子どもながらに黄色い電車と赤い電車は仲がいいと思った。
そういった意味では御茶ノ水駅の快速電車と総武線直通の各駅停車はどことなく快速の方が高圧的であまり仲がよさそうではなかった。御茶ノ水駅から見える丸の内線がいい人に思えたものだ。

物語はその赤坂見附からはじまる。
『地下鉄(メトロ)に乗って』
こないだテレビで映画をやっていた。
タイムスリップものはちょっとずるい気がする。ましてや原作が浅田次郎なんて反則技に等しい。
この本は浅田次郎の比較的初期の作品でそのせいかいまひとつ洗練し切れていない印象があるが、それでもじゅうぶんすぎる浅田ワールドだ。


2008年6月13日金曜日

リチャード・フロリダ『クリエイティブ・クラスの世紀』

昨日の夜、うちの玄関にヒキガエルがいた。
壁をよじ登ろうとしていた。インターホンでも押そうとしていたのだろうか。
ちょっと声をかけてみたら、どうやらうちの前、バス通りをはさんだ向かいの小学校がこんど統合されるということで解体工事がはじまり、今まで居ついていた敷地内の池に居づらくなったそうだ。それでもってどこかいい棲みかはないか探しているという。うちの玄関でも庭でも居てくれてかまわないが、池があるわけでなし、夏場は玄関のある北側も日が当たるから、どこか近くの神社か公園でも訪ねたらどうかと言ってやった。やれやれまったく住みにくくなったなこの辺りも、とぐじぐじ文句を言いながらヒキガエルは闇のなかに消えていった。
怖がり屋の長女は梨木香歩とか好きで読んでいるわりには、この手の生きものが好きではない。ヒキガエルが玄関にいたと言ったら、明日外に出られない、学校にいけない、と騒いでいた。

ぼくは広告の仕事をしているので「クリエイティブ」とタイトルにある本はつい手にしてしまうのだが、この本は広告コミュニケーションの本ではなく、現代アメリカ社会がかかえるさまざまな問題を指摘し、世界に冠たる超大国アメリカの地位を保持し、さらなる経済発展を遂げるためのヒントを提供するれっきとした学術書だった。クリエイティブとは広い意味で知識労働者ということらしい。
いわゆる9.11のテロ以来、アメリカは経済的発展を促すテクノロジー(技術)、タレント(才能)、トレランス(寛容性)の3つのTのうち、トレランスにおいて他国、他地域と水を開けられつつある。カナダ、オーストラリア、スカンジナビア諸国、インド、中国が世界の才能を集め、あるいは自国の才能を呼び戻しているという。そんなこんなでいずれアメリカは大きなしっぺ返しを食らうのではないかというのが著者の懸念である。
まあ、アメリカは腐ってもアメリカだろうとぼくは思ってるんだけど。っていうかもう腐りすぎてる?

朝、新聞を取りにいくついでに家の周りを丁寧に眺めまわしたが、ヒキガエルは見つからなかった。住まい探しの旅に出たのかもしれない。幸運を祈る。



2008年6月11日水曜日

江國香織『落下する夕方』

語学の話を引きずろう。
二十歳くらいの頃、何を思ったか、アルバイトで稼いだ金をつぎ込んで御茶ノ水のフランス語学校にしばらく通っていた。入門クラスを終え、初級コースに進んだのだが、そのなかにひとり、今のぼくくらいの年配の男性がいた。話をしたこともなく、いつも席が離れていたので、どんな動機でそこに通っていたかは定かじゃない。昔かじったことがあるフランス語をもう一度、みたいな、おじさんがロックバンドやフォークバンドをはじめるような感じ、でもなかった。
授業では日本語はいっさいしゃべらないことになっている。昔タモリやビートたけしや明石家さんまが正月にやっていたゴルフみたいなもんだ。まず、出席をとる。先生がひとりひとり名前を読み上げる。女性はpresente(スペルは正確じゃないが)、男性はpresentと答える。これは初心者にとっては緊張する作業だ。で、その年配の方はたしかにpresentではなく、プレザーンと片仮名ないしは平仮名で返答していた。Il n'y a pas de stylo.なんて文章も「イール・ニ・ヤ・パッ・ド・スティーロー」と読んだりする。
その後中級コースに進んで、何度か授業に出たが、お金が続かなくなり、なんとなく忙しくなって学校には行かなくなった。おじさんは今頃どうしているだろう。
先日読んだ『外国語上達法』で語学上達に必要なのはお金と時間とあったが、たしかにそうだ。さらにいえば、能動性と強制力ではないかとぼくは思っている。
いずれにしても自分からすすんで取り組まないことには前進はしない。それと学校に行くとか、宿題を課せられるとか無理強いさせられないと言葉って身に付かないんじゃないかと思っている。
実は、もう一度御茶ノ水でも飯田橋でもいいのでフランス語学校に通ってみたいと最近思っているのだ。しばらく前からずっとそう思っている。が、ときどき脳裏をかすめるのは昔同じ教室にいたあのおじさんだ。今度はぼくが「なんだあのおじさん」と言われてしまうのだろうか。

ちょっと引きずりすぎた。
江國香織を読むのはずいぶん久しぶりで、この文庫本は、5年ほど前仕事で行った大阪は豊中の本屋で買った。仕事の合間の退屈しのぎによさそうな雰囲気がしたからだ。でも結局ずっと読まないまま放置していた。
江國作品のなかの小気味いい人物設定が好きだ。
彼らは「私は新幹線が嫌いだ」(あげは蝶)とか「記憶はおもちゃのブロックに似ている」(ホリーガーデン)、「夜の電車はすごくきれいだ」(流しのしたの骨)、「運動会のなかで、あたしはお弁当の時間がやっぱりいちばん好きだ。外の空気の匂いに、みんなおむすびの海苔の匂いのまざるところが特別で好き」、「あたしは学期のなかで三学期がいちばん好きだ」(神様のボート)、「私が品がないと思っているもの。携帯電話、愚痴、ゴルフ、恋」(ウエハースの椅子)、「透は牛乳が好きだ。砂糖を入れなくても奥底で甘いところがいい」(東京タワー)、「私はバスという乗り物が好きだ」(愛しいひとが、もうすぐここにやってくる)などなど気持ちよく言ってのける。
そういえば今回の主人公は「秋は一年じゅうでいちばんお茶漬けのおいしい季節だと思う」と言ってたっけ。


2008年6月9日月曜日

千野栄一『外国語上達法』

個人情報保護士の試験の問題集から。
次の記述が正しいか正しくないかを問う問題。

  個人情報取扱事業者は偽りその他不正の手段により個人情
  報を取得してはならないが、個人情報取扱事業者が、他の
  ものに指示して詐欺により個人情報を取得させてその者から
  個人情報を取得したとしても、当該個人情報取扱事業者が
  詐欺を行ったわけではないので、不正の手段により個人情
  報を取得したとはいえない。

こりゃ、わかるだろう。本当にこんな問題が過去に出題されているのだろうか。

その人が読む本というのは大きく2種類あって、興味関心があって深く情報なり感銘なりを得たいがために読む本と、ある意味自らのコンプレックスに対処あるいはなんらかの慰みを得るために読む本である。
ずいぶん乱暴な仕分けの仕方であるが、ぼくはどちらかといえば本に頼る人生を送ってきたような気がする。
小学生の頃、クラスで野球チームを組んだとき、真っ先に『野球入門』みたいな本を買って読んだし、児童センターの卓球教室に通いはじめて、最初に読んだのは『卓球教室』みたいな本だった(題名は正確に記憶していない)。そんなわけで『初歩の剣道』とか『少年カメラマン入門』とか『やさしい電子工作』とか、まずは知識から入っていくタイプだった。そして大概の場合、そんな輩が何を極めるということはない。
とはいえ、その傾向はいまだに強く、とりわけずっと弱くて、なんとかしたいと思っていたものとして語学があって、いわゆる入門書的な読み物があれば、底なし沼に浮かぶ藁のごとくしがみついてしまうのである。
『外国語上達法』
いかにも上達しそうなタイトルではないか。しかも神田駿河台下の三省堂書店の語学コーナーに置かれていたのだ。ちょうど六鹿豊著『これなら覚えられるフランス語単語帳』という本を探しに来ていたところでついつい購入してしまった。
この本の好感の持てるところは筆者が自らを語学が苦手として(もちろんそんなことはあるまいだろうが)、あくまで謙虚、かつ巧妙な語り口を保持しているところだろう。

  言語の習得にぜひ必要なものはお金と時間であり、
  覚えなければ外国語が習得できない二つの項目は
  語彙と文法で、習得のための三つの大切な道具は
  よい教科書と、よい先生と、よい辞書ということになる。

なかなか的を射ていてわかりやすい。

2008年6月8日日曜日

松山猛『少年Mのイムジン河』

東京六大学野球は、春秋のリーグ戦終了後新人戦がある。1、2年生によるトーナメント形式の大会だ。レギュラーシーズンの試合のような応援団もいなくて、神宮球場のスタンドもネット裏しか開放されない。まるで第二球場で試合をしているようである。下級生のチームでもすでにレギュラーとして活躍している選手は少なく、まあ1軍半から2軍といったあたりか。
昨日は三位決定戦明治対法政と決勝戦早稲田対立教の2試合が行われた。
新人戦の醍醐味といったら、やはり昨年、一昨年と甲子園を沸かせた選手たちの活躍だろう。明治では大垣日大出身の森田が最終回1イニングを投げた。140キロ代の真っすぐはなかなか切れがいい。早稲田は広陵出身の土生が2本の三塁打と犠打で5打点と活躍した。
仕事場の書架にあった『少年Mのイムジン河』を手にとった。
この本は映画『パッチギ』が話題になった2005年に読んだ。映画の原案になった本であるが、映像の激しさに比べるとぐっとやさしい大人の絵本だ。

2008年6月7日土曜日

平林博『フランスに学ぶ国家ブランド』

NHKラジオフランス語講座中級編がおもしろい。
講師はフランス人で東京日仏学院でも講師をしている3人。それはまあふつうの(聴いている限り)講師。おもしろいのはナビゲーター役の女性だ。先月までは明石伸子という早稲田大学の講師だった。この人もよかったのだが、今月から担当している上智大学講師の常盤僚子がさらにいい。語り口は淡々として、抑揚がなく、講師のレクチャーを同時通訳のように感情を押し殺して伝えている。にもかかわらず、講師が「(パリに行くにあたって)特に予定は決まっていないが、とりあえず観光をしたいし、いろんな建物を見てみたい」(これはもちろんフランス語で言うわけだが)と言ったのを受けて、「パリにはいろんな建物がありますが、でも、あんまり上を見ていると犬の糞を踏んでしまいますよね」とおそらくはボケてはいないであろうひと言を言うのだ。こうしておもしろがって書いてみて、読んでみると、さしておもしろくもない。が、これがNHKのラジオ第二放送から聴こえてくるとそれなりのインパクトはある(ちなみに犬の糞の話を受けて、最近大都市では条例などで取締りが厳しくなっていると答えたフランス人講師もなかなか、いい)。
あ。
で、本の話だが、著者は現在民間企業の役員をされていることからもおわかりのとおり、元官僚。外交官だったらしい。
フランスという国の偉大さ、オリジナリティ、ユニークネスを協調しながら、日本の現状を顧みるという話。フランスに見習うべき点は多々あるのに日本はどうなのかという視点はありだと思うが、だからどうしたそれから先は、といった建設的なビジョンがあるわけでもなく、立場上、強くいえないこともあるんだろうが、なにせ外交辞令が身に染みついている人であろうことを考えるとさして読後に向けて大きな期待を持つのも如何なものかと思いつつ、かといって、それなりにフランスの現代の状況にもさりげなく触れていることもあって途中で投げ出すのも惜しく、本日読了いたした次第であります。


2008年6月5日木曜日

梨木香歩『からくりからくさ』

『本は10冊同時に読め!』を読みながら、斎藤孝/梅田望夫『私塾のすすめ』、辰巳法律研究所・柴原健次編『個人情報保護士試験公式過去問題集』、そして梨木香歩『からくりからくさ』を超並列で読んでみた。時間を区切って、読む場所を変えて…といろいろそれなりに工夫はしたのだが、いちばんやっかいだったのが『からくりからくさ』だった。
それなりに家系図を思い描きながら読みすすめてはいたのだが、ブレークが入って、別の本を読むともうその次に読むときには家系図が紛失している。ええっとどうだったけと前のほうを読み返したり、俄然効率が悪い。長女に紙に書いておけばいいのにと言われ、それもそうだなとは思ったものの、面倒くさい。よく旅行に行くとき、持ち物を字ではなくて、絵にする。シャツとかパンツとか靴下とか洗面用具とか。そのほうが分量がわかりやすいから。娘は小さい頃からそんな父親の間抜けな姿を見ているから、何の気なしにいつもやってるようにやれば、という意味で言ったのだろう。が、結局ネットで検索というイマジネーションのかけらも働かない方法で家系図を再現した。
読んでいる本のなかでときどき色彩を感じるものがある。シーンに強烈な色彩を持つ文章がある。今とっさには思い出せないけれど、たとえばアーウィン・ショーだったり、三島由紀夫だったり、江國香織だったり。ぼくは和なもの、つまり日本的なもの、伝統古来のものにはかなり疎いんだが、『からくりからくさ』でひろがっていく微妙な色の世界は美しく印象的だと思う。装丁を頼まれた人はさぞや頭を悩ませたのではあるまいか。
そしてクライマックス。これも大騒ぎにならず、淡々と粛々と落ち着き払ったところがまたよい。どこか遠く、誰も知らない不思議の国の、ミステリアスなお伽噺。大人の童話。そんな印象。


2008年6月4日水曜日

齋藤孝/梅田望夫『私塾のすすめ』

梅田望夫がこんなことを言っている。

  僕が「好きなことを貫く」ということを、最近、確信犯的に言っている理由というのは、
  「好きなことを貫くと幸せになれる」というような牧歌的な話じゃなくて、そういう競争
  環境のなかで、自分の志向性というものに意識的にならないとサバイバルできない
  のではないかという危機感があって、それを伝えたいと思うからです。

大企業だろうが、零細企業だろうが、かつてよりたくさんの仕事をしなければいけない時代なんだそうだ。ITの進化とグローバリゼーションの波。情報はあふれているし、24時間365日世界は動いているからだ。

「貫く」かあ…。まあ僕のしている仕事なんかもまず「好き」じゃないとできない仕事なんだが、これからはますます競争も厳しくなるし、クライアントからのオーダーも過酷になる。僕も20代のころ、仕事は楽しくやれと先輩諸兄からよく言われたのだが、楽しくやるには相応の努力が必要だった。が、これといって自分なりの方法論を見出せないままあっという間に20年が過ぎた。
と、ついつい悲観的に考えてしまうのだが、本書のすぐれているところは、後ろ向きな姿勢はいっさいなし。常に前向きにこれからを生き抜く学びのヒントが盛りだくさんだ。そのキーワードが「志向性」であり、それもひとりでなく、同じ志向性を持つ何人かで成功体験を共有することの必要性が語られる。
この手の啓発書も単なる経験談に終始せず、きちんと理論武装され、時代を読み解くキーワードで整理されていると批判の余地もなくただただ感心させられてしまう。
だまされているんじゃないかと思うほど、ポジティブな一冊だ。

2008年6月3日火曜日

成毛眞『本は10冊同時に読め!』

早慶3回戦。
打撃不振の早稲田は打線を組み替えてきた。調子の上がらない上本を6番に下げ、松本啓をトップに。好調の宇高を3番に据え、5番に山川。慶應先発が左腕中林なので泉を使いにくかったのだろう。さらにここ何戦か調子を落としている松永に代えて、ショートに後藤。
早稲田先発の斎藤は初回こそ三者凡退だったが、2回に2点を献上。今季の斎藤はコントロールがよくない。明治戦もそうだったが、甘いところに投げて痛打されるのを恐れているのか、攻める気概が感じられない。それでもピンチには強く、なんとかしのぐところはさすがだ。先行された早稲田は山川、後藤と入れ替えた打線がつながって3回に同点。そのまま延長に。
慶應は中林が続投。早稲田は7回から大石。速球がびしびし決まってほぼパーフェクトなリリーフ。延長10回。細山田の三塁打を宇高が返して、早稲田のサヨナラ勝ち。
ベストナインは優勝した明治から大挙して選出されたが、早稲田上本が選ばれたのはちょいと疑問だ。
野球の話はこれくらいにして。
以前マイクロソフトの社長だった成毛眞の話題作。なんどか新聞にも取り上げられていたこともあり、読みたいなと思っていた一冊だ。
いやあ、なかなか力強い。それは題名に『!』が付いていることからもわかる。大人のちゃんとした本で『!』が付いている本は少ない。それだけに著者の強い自信と信念がうかがえる。
要は人と同じことをしていてもだめだという訓話だ。内容がしっかりしている本なら題名にビックリマークはまず付けない。だが、著者はあえて付けているのだ。人と同じことはしない人だ。
それにしても著者の、人生を楽しむために大いに読むべしという姿勢には大いに共感できる。
さっそく3冊を「超並列」読書してみたが、慣れないせいか、わけわからなくなった一冊があった。著者から「集中力が足りない」と叱責されそうである。

梨木香歩『エンジェル エンジェル エンジェル』

つくづく、思う。よくできている小説だなあ、と。
おばあちゃんと孫娘というのは、この人の基本構図なのだが、その関係の描き方において『西の魔女が死んだ』とはまたひとつランクアップしている。
孫の生きている時代(おそらく現代)と祖母の生きている時代とを織りなす微妙な演出(たとえば旧仮名で綴るなど)もさることながら、ラストに向かって一気に糸のもつれを解き放つ瞬発力、余計な描写を省いて一気に読み進めていける上、時代の違い(つまりは考証的なこと)に煩わせることなく進展していく構成のシンプルさ。
そういえば、長女がイチオシ、みたいなことを言ってたっけ。


2008年6月1日日曜日

紅山雪夫『フランスものしり紀行』

2004年、2007年と南仏を訪れた。そのせいか6月になるとフランスに行きたくなる。うずうずする。
ほとぼりをさますのにちょうどよさそうな本を見かけた。さっそく読んでみる。
著者は旅行作家というだけあって、ヨーロッパ各地に造詣が深いようだ。新潮文庫からは『ヨーロッパものしり紀行』、『ドイツものしり紀行』、『イタリアものしり紀行』と複数刊行している。
ただの旅行案内にとどまらず、各地の歴史を説き明かしながらの旅。なかなか興趣深い。とりわけ中世史は蒙昧も甚だしいゆえ、たいへん勉強になる。
さて、このものしり紀行。パリを出発点にして、ノルマンディーからブルターニュ、ロワールの城めぐりを経て、プロヴァンス、ラングドックへと反時計回りに半周する旅行案内だ。いずれ時計回りでシャンパーニュ、アルザス、ロレーヌ、ブルゴーニュなどを紹介する続編があるのだろうかと期待させる。
今回読んでみて、行きたくなったのは、モン・サン・ミッシェルはもとより、ルーアン、カーン、レ・ボー、ニーム、そしてカルカソンヌだ。昨年、アヴィニヨンを基点にして、オランジュ、アルルを見てまわった。もう少し時間があれば、ポン・ドュ・ガール、タラスコン、レ・ボーにも行けなくはなかったんだけど。
リヨンやナンシーにも行ってみたいし、ニース近郊のエズ、ヴァンスあたりにも行ってみたい。もちろんロワール川流域の古城めぐりもしてみたいのはやまやまであるが、とりあえずこの本を読んで、今、行ってみたいフランスのトップに躍り出たのは、カルカソンヌである。
ほとぼりがさめるどころじゃない一冊だったが、帯に刷られている文言「世界都市パリ、その発祥の地は中州」、「モン・サン・ミッシェルは牢獄だった」とか「最も歴史のある年は港町マルセイユ」などなど、さすがは「売り」の新潮社。軽薄路線をねらっているようで、せっかくの良本なのに、ちょっともったいない。