2007年4月21日土曜日

秋山満『フランス鉄道の旅』

現役をリタイアしてから、ゆっくりと旅を楽しむという人は多いと思う。行き先はアメリカでもなく、アフリカでもなく、オーストラリアでもなく、ニューカレドニアでもなく、やっぱりヨーロッパだろう。まあ、ハワイという人もいるかもしれないが、少なくとも知的な人生をおくってきた人の定年後の旅先としてはちょっと軽い気がする(なんて言ったら失礼だが)。定住するなら話はちがうと思うけど。
たとえば夫婦でヨーロッパを旅する。ツアーでなく、列車やバスを乗り継ぎながら。そんな方がご近所にでも住んでいればなあ、と常々思っていた。
近所にはいなかったが、近所の図書館にはあった。
著者の秋山満は高校の地理の教員をしていて定年後、パッケージツアーではない個人旅行を楽しんでいるという。その旅の記録をまとめたものが本書というわけだ。
基本は個人旅行、しかも鉄道やバスを利用しての旅だから、おのずと訪問する地域はヨーロッパになるに違いない。交通機関や宿泊施設に関してはアメリカやアジアに比べて圧倒的な利便性を備えているからだ。
この本では3つの旅行がとりあげられている。ナント、レンヌ、サンマロからカンペール、ラロシェルなど大西洋岸の街をめぐるブルターニュの旅。コルシカ島からニースにわたり、プロヴァンス、ピレネー山麓をまわる南仏の旅。そしてアルザス・ロレーヌからシェルブールなどノルマンディ地方をめぐる東北仏の旅。いずれも定年後の先生夫妻によるエピソードに事欠かない道中記になっており、いつの日か鉄道でフランス周遊でもしてみたいと思っている者にとってためになる生きた参考書である。

2007年4月19日木曜日

第13回中国広告祭受賞作品展

汐留アドミュージアム東京。

中国広告祭は中国の中で最も権威と影響力のある国家レベルの広告祭。何年か前から日本でも紹介されるようになって、年々レベルアップしているのが手に取るようにわかる。以前はどちらかというと日本の学生デザインコンクールの上位入賞作品と遜色ないような気がしていたが、ここ1、2年はハッと目を見張る作品もあって、見に行くのが楽しみになってきた。
洗面台の排水口に抜け毛が今にも流されそうになっている。その抜け毛がパンダの絵に見え、「少なくなったものを、救いましょう」というキャッチ。これはもちろん、希少動物を救うキャンペーンではなく、髪の毛によい漢方薬の広告だ。
またこんな広告もある。シャツの胸ポケットに空き缶をゴミ箱に捨てるピクトが刺繍されている。これは公共広告で「文明というブランドを常に身につけよう。いつでも、どこでも文明ブランド」とコピーが書かれている。公共マナーについての広告だ。アイデアとしてはわかるが、案外訴求するテーマが非近代的であったりもする。お隣の国であり、経済発展の渦中にある国という意識もあり、ついつい日本との差は埋まっていると思うのだが、意外とそうでもなさそうだ。
TVCMで驚いたのは、やはり公共広告でタイトルは母の愛情。「一番優しい母だから、嘘を世の中で一番素晴らしい言葉に変えられる」というコピーがついている。母親が子どもたちを育てるために食べたいものも食べたくないといい、夜を徹して働くことを働くのが好きだからといい、炎天下にいても冷たい水を飲みたくないといい、病に伏せて苦しいときも苦しくないという。母親が貧しさに立ち向かって、子どもたちを立派に育て上げていくというとてもいい話で、きわめて儒教的道徳的なお国柄が見てとれる。一方でどうしていまさらこんなテーマで公共広告が成り立つのかとも思ってしまう。実は中国でも日本のようにだいじな何かが失われつつあるのだろうかという穿った見方もできなくもない。
グランプリは北京マラソンを題材にしたナイキのCM。ネズミが追われるように走るCMだ。これもネズミになんらかの意味合いがあるのだろうが、マラソンランナーをネズミにしちゃっていいのかと思ってしまう。
いずれにしても日本と中国。似て非なるこの両国は広告コミュニケーションにおいても大きな差異があるようだ。


2007年4月17日火曜日

川上弘美『真鶴』

今春の高校野球都大会はベスト8が出そろった。
帝京、関東一、堀越、八王子、修徳、日大三、東海大菅生、都文京。東西それぞれ4校づつ。都立勢はベスト16に4チーム。そのうち1校が準々決勝に進出した。
で、真鶴なんだが、15年ほど前に行ったことがある。
最初はロケハンと称する下見。その後が本番。
半島の中程に中川一政美術館というこじんまりと落ち着いた美術館がある。周辺には公園があって、そこで写真撮影をしたわけだ。当然のことながら、この界隈は魚がうまい。ロケハン時には鯵の茶漬けがおすすめと聞き、いただいたものだ。
さて子どもが大きくなっていく。手ばなれていく。高校生くらいになるととりたててお互いが関心を持ち合うようなことがらでない限り会話はなくなる。父親と娘だったりするとその傾向はますます顕著になる。失踪した夫って要するにそういう存在なのかなあと思ったりしたわけだ。
久しぶりに読んだ川上弘美。語彙がいっそう豊かになって文章に無駄がない。次々に押寄せてくる短い文章が心地いい。

2007年4月1日日曜日

城 繁幸『若者はなぜ3年で辞めるのか?』

大阪で仕事があり、その帰りに甲子園に立ち寄る。今春注目のスラッガー大阪桐蔭の中田翔の長打を期待していたのだが、残念ながら不発。チームも破れ、ベスト8に終わる。
さて最近増えてるタイトルでつかむ新書。
中身は年功序列、終身雇用といった昭和的価値観の崩壊をテーマにしている。
少子化問題もそうなのだが、結局世の中ってやつは次世代にツケをまわすことでしか成り立たないらしい。そのいちばん顕著だった時代が高度経済成長を生んだ昭和というわけだ。
昭和を顧みるとき、子どもだったぼくらにとっては石原裕次郎や美空ひばり、長嶋茂雄らスターの時代だった。経済成長の陰の部分、負の部分を覆い隠して余りあるくらい輝ける時代だった。問題をどれほど先送りしようが、それ以上の夢だの希望だのといった抽象的な明るさが世の中を照らしていたんだろう。
年功序列だから希望が持てたのか、年功序列だから希望が見失われたのか。その辺に関しては決定打はないけれど、要するに世の中にはいろんなシステムのモデルがあって、時には時代の流れに乗って脚光を浴び、時には諸悪の根源として貶められるということではないのかと思う。若者の離職率もさることながら、少子化問題に対して子どもを増やす的な発想ではない新しい社会のシステムをつくらないことにはこの「閉塞感」はどうにもならないのではないか。