2017年11月22日水曜日

吉村昭『赤い人』

ふらりと立ち寄った秋葉原。
中学生の頃はトランジスタやら、抵抗、コンデンサー、コイルなど電子部品を買いに行ったものだ。JRのガード下や総武線ガード沿いのラジオデパートではまだ取り扱っている店もある。アニメーションの自主制作として電子部品を活用できないかと思って何軒か回ってみる。すでに製造中止となった東芝のトランジスタ2SC1815が20本入で200円で売られていた。
電子部品の店に組立キットがあった。デジタル時計や電光掲示板、それにモーターで動く車やロボットアームなど。聞いてみるとそれらは小さなコンピュータで制御できるという。コンピュータは名刺ほどのサイズである。オープンソースのOSをインストールすれば普通にパソコンとして使えるという。面白半分に買ってみた。
ネットで調べてみると数年前から流行っているRaspberry Pi(ラズベリーパイ)というシングルボードコンピュータとわかる。電源ソケット、USBソケット×4、LANポート、HDMIソケットにマイクロSDカードのスロットが付いている。
さっそくWindowsのノートPCでダウンロードしたOSをあり合わせのSDカードにコピーして、システムをインストールする。モニタとマウス、キーボードをつないで電源を入れる。あれよあれよと起ち上がる。ブラウザを開くとネットにつながっている。日本語入力のソフトをインストールする。これでブラウザからSNSもメールもできるようになった。
仕事場のデスクトップPCが古い機種のせいか起動に時間がかかっていたので代替機としては助かる。
不思議なめぐり合わせだった。
吉村昭『赤い人』を読む。
北海道に送られ、開拓に従事した囚人たちの話だ。北海道の町も、道も、広大な農地も彼ら開拓に従事した者たちが命がけでつくりあげてきた。
子どもたちが小さいころ、北海道を旅行した。こんな歴史の上にこの大地はあるのだと語り聞かせてやるべきだった。

2017年11月17日金曜日

寺山修司『ポケットに名言を』

明治神宮野球大会が終わった。
秋は社会人、大学、高校の全国大会が行われ、野球の一年を締めくくる。とりわけ高校野球の全国大会は春と夏に甲子園球場で開催されるため、明治神宮大会は東京で行われる唯一の全国大会だ。
今年は一回戦の日本航空石川(北信越)対日大三(東京)、準決勝の創成館(九州)対大阪桐蔭(近畿)、明徳義塾(四国)対静岡(東海)の三試合を観る。出場10チームのうちただひとつの公立校である静岡を応援していたが、優勝した明徳義塾に惜敗。春センバツに期待したい。
大学の部が4年生にとって最後の大会であるのに対し、高校の部は夏の選手権大会後に始動した新チーム最初の全国大会。各地区を勝ち抜いてきた精鋭とは言うものの、まだまだ完成度は低く、荒削りなプレーも多い。試合経験を積みかさねていくことで課題や強化すべき弱点を見出していくのだろう。今はまだそんな段階だ。
その点大学生の野球は完成度が高い。高校生の試合を観たあとだと子どもと大人ほど違う印象を受ける。投手は慎重に球種を選ぶ。丁寧にコントロールされたボールがコーナーを突く。ピンチのときも動ずることなく目の前の打者に集中して打ちとる。優勝した日体大の試合を観てそう感じた。
大学野球というと東京六大学、東都大学にいい選手が集まって高いレベルを維持していそうに思われるが、春の大学野球選手権も含めトーナメント方式の全国大会を見ると思いのほかそんなこともなく、地方の名の知れていない大学やマスコミにあまり取りあげられないリーグにも好投手、好打者がいる。野球の裾野は広く、奥は深い。
寺山修司はアウトロー、アングラの印象が強い。根強い人気があるのも彼がそうした雰囲気を持っているからかもしれない。表現する人としての寺山修司を支えていたのは広くて深い読書体験だったのではないか。そう思い知らされる一冊だ。
それはともかく慶應や東洋が決勝に残らないと大学野球は少し寂しい。

2017年11月16日木曜日

野口悠紀雄『知の進化論』

ゴッドフリー・レッジョ監督「コヤニスカッティ」を観たのは20代だった。
82年公開のこの映画がテレビで放映され、βマックスのビデオテープに録画した。たたみかける衝撃的な映像にフィリップ・グラスの音楽が印象的だった。こうした撮影手法を微速度撮影というんだと教えてくれたのは当時働きはじめたテレビコマーシャル制作会社の先輩だった。
たとえば1秒刻みに撮影した画像をつなげて動画にする。昔のムービーは1秒24コマだから24秒ぶんの動きが1秒に凝縮される。人はちょこまか歩く。夜のハイウェイでは光が走り、飛行場の上空に光が飛ぶ。
1枚1枚の写真をつなげて動画にするという点で微速度撮影はアニメーションといえる。動いていないものを動かすか、動いているものをさらに動かすかが異なるだけだ。1秒間に24コマのフィルムをまわすムービーに比べるとフィルムにかける予算を大幅に省くことができる。そもそもアニメーションはそうした経済観念にも支えられていた。フィルムは高価なものだし、現像して、プリントして、編集して。まわせばまわすほどお金がかかるのだ。
とはいえこの手法もなかなか素人にできるものではなかった。カメラを固定する。露出をはかり、できあがる映像にイマジネーションをはたらかせてインターバル間隔を決める。撮影した一コマ一コマの画像現像してつないでいく。けっして一般的ではない。
ところがデジタルカメラが普及して誰にでも簡単にできるようになった。カメラの機能にインターバル撮影というモードが加えられた。また動画編集ソフトやインターバル撮影した画像を動画にするアプリケーションも増えてきた。こうした背景もあって、ネット上では微速度撮影した動画を頻繁に見るようになった。今では微速度撮影などとはいわない。タイムラプス動画と呼ばれている。デジタルはカタカナなのだ。
知識をオープンにすることで新たな可能性が切りひらかれる。要するにそんな内容の本だ。

2017年11月14日火曜日

スコット・フィッツジェラルド『若者はみな悲しい』

築地市場場外に気に入った蕎麦屋がある。
細打ちの麺がうまい。かき揚げそば、カレーそば、納豆そばなどを好んで食す。
人気店である。
昼どきは店の外でお客さんが席が空くのを待っている。場所がら観光客も多い。もちろん築地の店だけあって、築地色豊かな日替りメニューをお目当てに来るのだろう。とりわけしらす丼や海鮮丼と蕎麦のセットメニューは人気が高い。
蕎麦屋だから昼から酒を飲んでいる人もいる。それなりのネタがあるんだから、つまみにだって事欠かないだろう。夜は夜で居酒屋としても人気店であると聞いた。
蕎麦屋で飲むのはきらいじゃない(というか大好きだ)。わさびかまぼこやたまご焼き、やきとり、とりわさ、海苔なんかをつまみにちびちび飲んで、もりそばとかけそばを食べて帰る。そんな酒が好きだ。
さて築地の人気店。気に入ってはいるものの、どうも気に入らない。ランチメニューも夜の天然まぐろの中トロも。蕎麦屋のつまみは蕎麦のたねになっている材料の流用であるべきだという固定観念があるせいだろうか。せっかくうまい蕎麦を供する店なのに、蕎麦を脇に追いやっている感じが好きになれないのか。うまい刺身を食べたければ寿司屋にでも行けばいい。蕎麦屋に行ったら蕎麦屋のものを食べる。
今はそういう時代じゃないのかもしれない。刺身のうまいピザ屋や餃子がおいし鰻屋などというものがあって、それはそれでいいじゃないかと人々は寛容に心を開いているのかもしれない。たとえそれが現実だとしても海鮮丼がおいしい蕎麦屋は気に入らない(もちろん誰かが誘ってくれたらほいほいと付いていって、中トロなんかをほおばるかもしれないが)。
フィッツジェラルドを読む。村上春樹訳の『グレート・ギャツビー』以来だと思う。
光文社の古典新訳シリーズで08年に刊行されている。村上訳ギャツビーの2年後だ。すっかり見落としていた。
フィッツジェラルドは悲しい。短編はとくに悲しい。絶望的に悲しくなる。

2017年11月12日日曜日

加藤典洋『村上春樹は、むずかしい』

最近持ち歩いているペンタックスQであるが、電源を入れるたびに日付がリセットされる。
写真は撮れるし、時計として持ち歩いているわけではないので不便とは思わない。ただ最近は撮った写真がいつ撮影されたものであるか(さらに言えば使ったレンズ、ISO感度や絞り、シャッタースピードもわかる)が記録として残っていると便利は便利だ。しかもSDカード内に日付ごとのフォルダをつくってくれるので後々助かることが多い。
律儀な人なら電源をオンにするたびに117に電話をかけて秒数まで合わせるにちがいない。あいにくそう生まれついていないのでそのままにしている(そのままでも写真は撮れる)。
ネットで調べてみると日時を保持するバッテリーだかコンデンサーだかが弱くて同じ症状のユーザは多いようだ。そして律儀な方は12,000円ほどお支払して修理してもらっているらしい(中古でボディを買っておつりがくるお値段である)。ペンタックスは他の機種でも同様の症状があるようで、ある意味伝統芸なのかもしれない。
何か妙案はないものかと思っている。けっして律儀な人間ではないが、がめついところは否定できないのである。
村上春樹の作品がむずかしいかむずかしくないか。
そういう尺度で読んだことがないので何とも言えない。おもしろいから読む。一読者としてそんな姿勢を貫いてきた(ちょっとおおげさだけど)。
高度経済成長期まで支えてきた「否定性」という概念を覆した「否定性の否定」というキーワードが取り上げられている。たしかに肯定性の時代に村上春樹はあらわれた。その真っただ中にいたせいか、あまり意識したこともなかったが。
著者は村上作品群を初期・前期・中期・後期・2011年以降と分類している。思い返してみるとたしかにそうだなと思えはするものの、そういったこともあまり考えることなく読んできた。
おもしろいから読む。
この立ち位置はかわらないと思う。

2017年11月7日火曜日

吉村昭『海も暮れきる』

来年の甲子園をめざして各地で新チームが始動した。
11月上旬は全国10地区の地区大会が終わる。今週末から最初の全国大会である明治神宮野球大会が開催される。新しい勢力地図が描かれる。
昨年は近畿地区優勝の履正社が東京地区代表の早稲田実業に勝って優勝した。この大会で勝ったチームは来春のセンバツで優勝候補筆頭になる。もちろんその後、センバツ、夏の選手権と勝ち続けることは難しい。
明治神宮野球大会はセンバツや選手権にくらべると歴史は浅いが、過去に秋春夏と連覇した学校は1校しかない。97~98年の横浜高校がそれだ。エース松坂大輔を擁した横浜は春の関東大会も含め、新チームになってから1年間公式戦無敗を誇った(横浜は秋の国体でも優勝している)。
秋春を連覇した高校も横浜に加え、83~84年の岩倉(センバツ決勝で清原、桑田のPL学園に完封勝ち!)、01~02年の報徳学園(後に早大~トヨタ自動車~ロッテの大谷智久がエースだった)の3校しかない。トップレベルのチーム力を維持向上させながら冬を越すのがいかに難しいかがわかる。
今年の東京代表は日大三。決勝の対佼成学園戦では9回表連打で逆転し優勝した。関東地区代表は千葉の中央学院。準決勝で東海大相模を破って勢いに乗った。その他、大阪桐蔭、明徳義塾、聖光学院など名門校が出場する。東京で開催される唯一の全国大会。楽しみだ。
ここのところあまり本を読んでいない。
以前読んだ本を思い出しながら、こうしてブログを書いている。というかそもそも本の内容に関して書いているわけではないからどうでもいいことなんだけれど。
尾崎放哉についてはまったく知らなかったし、自由律俳句のことも同様。定型にとらわれない俳句というものが今でもよくわからない。たしかに「咳をしても一人」という句は詩情にあふれていると思う。心に残る。だけどこれが俳句だといわれてもどうもぴんと来ない。
尾崎放哉。ひどい生涯を送った人だ。

2017年11月6日月曜日

吉田凞生編『中原中也詩集』

出かけるときはカメラを持ち歩く。
町歩きのメインのカメラはパナソニックのLUMIX GX-1というちょっと古いマイクロフォーサーズ。このボディにニコンの20mmやフォクトレンダーの17.5mmか25mmを付けて出かける。野球を観るときはカール・ツァイスの85mm。マイクロフォーサーズだと160mm(35mm換算)の望遠になる。
荷物を多くしたくない旅行や外出用にペンタックスQという小さなミラーレスカメラも持っている。小さいだけのカメラで飛び抜けて素晴らしい写真が撮れるわけではない(もちろん撮影者の技術にも問題があろう)。ペンタックスQシリーズはQ7とかQ10など新しい機種が次々に登場したが、マグネシウム合金でその筐体を仕上げた初代Qは格別に持ち味がいい。
ペンタックスQには標準ズームレンズを付けて出かけることが多い。他の選択肢が少ないからだ。Dマウントレンズという昔の8mmカメラで使われていたレンズをマウントアダプターを介して使うこともある。中古カメラのショップで5.5mmというオールドレンズを手に入れた。35mm換算にして30mm。イメージサークルの関係で四隅はケラれるけれどまずますのワイドレンズである。
読んだけれどブログに残さなかった本が幾冊もある。
読み終わって何年も経つとなんでこれを読んだのか、そのとき何を考えていたのかなど思い出せない。この詩集もそのひとつ。少しだけ思い出せるのはその頃の通勤途中、耳さびしくなり、何か聴きたいと思って、図書館で借りたCDを(もちろん個人で楽しむために)録音し、仕事の行き帰りにゆわーんゆわーんと聴いていたことだ。
言葉を耳で聴くというのはいいものだ。言葉が「ことば」になる。そのうちもの足りなくなって詩集を読むことにした。
どの詩を読んでも切ない気持ちになるのはどうしてだろう。
まるでオールドレンズで撮ったみたいな風景が眼前にひろがるのだ。

2017年10月30日月曜日

宮下紘『ビッグデータの支配とプライバシーの危機』

イングレスというゲームがある。
以前も紹介したかもしれない。ポータルという拠点を占拠し、リンクでつないで陣地をひろげていく。そんなゲームだ。敵の陣地を破壊するための武器があり、ポータルにレゾネーターというパーツを挿すことで自陣にする。さらに防御用のアイテムもある。
エージェントと呼ばれるプレイヤーが参加している。レベルは1から16まで。一応レベル16が目標なのだが、それを過ぎても楽しんでいるユーザも多い。このゲームの奥深さを感じる(FoursquareというGPSを利用したSNSにゲームの要素を加えたアプリと考えていい)。
イングレスには(当然のことながら)膨大な数のエージェントが参加している。いわゆるビッグデータ処理技術の上に成り立っているゲームである。それぞれのエージェントがどれほどの個人情報と紐づいているかはわからないが(グーグルアカウントと連繋している人も多い)、多数のエージェントの動きを処理するとともにひとりひとりの活動履歴も残している。
毎日朝晩活動している場所ならそのエージェントが住んでいる地域であろうし、日中であれば勤務先がそのあたりである公算は高い。毎週決まった日に特定の場所でゲームをしているとすれば、その付近で習いごとでもしているかもしれない。こうしてイングレスを楽しんでいる人たちは着実に行動履歴を残していく。
その人の生活圏や移動のパターンがわかればマーケティングに活用できる(もちろんメールやSNSのアカウントと紐づいてればだが)。スーパーマーケットや地元商店のお買い得情報や勤務先近くのランチ情報の提供など。個人情報の利活用とはそういうことだ。これはイングレスに限った話ではない。大型店舗のポイントカードだって同じこと。
個人情報は今後さらに利活用され、個人も企業も自治体もその恩恵にあずかることだろう。そのぶんじゅうぶんな管理がなされなければならない。要するにそういうことだ。

2017年8月27日日曜日

佐々木俊尚『ネットがあれば履歴書はいらない-ウェブ時代のセルフブランディング術』

甲子園が終わると、来年の甲子園に向けて2年生中心の新チームが始動する。
当面の目標は北海道、東北、関東、東京、東海、北信越、近畿、中国、四国、九州の10地区の代表を決める地区大会だ。北海道と東京をのぞけば、地区大会の優勝・準優勝チームが来春のセンバツに出場できると思って間違いない。
東京都も来月から地区大会の一次予選がはじまる。24の会場で勝ち進んだ64チームが本大会に進出。新チームによる最初の公式戦なのでシード校はない。ガラガラポンの抽選で組み合わせが決まる。
組み合わせが決まった翌日の新聞で記事になっていたのはこの夏ともに甲子園まで駒を進めた東海大菅生と二松学舎が初戦で対戦する。もちろんここで負ければ夏春連続出場はなくなる。
この一次予選は江戸川球場などをのぞけば指定された当番校のグランドで行われる。当番校というのはシード校みたいなもので、当番校同士は本大会まで対戦しない。当番校でない学校は自校にグランドを持っていても他校で試合をする。強豪チームのグランドへ出向いて、組み合わせ抽選によっては初戦で強豪校とぶつかる。今回の二松学舎はそうした例だ。
二松学舎だって千葉県柏に人工芝の野球場を持っている。ただ会場校に指定されないだけである。立地の問題もあるだろう。遠方の学校が早朝柏まで遠征するのは容易ではない。東東京の学校は千葉、埼玉などにグランドを持っていることが多い。都外で会場になっているのは埼玉県八潮市の修徳くらいのものだ。
ということで24の会場のうち19までが西東京で行われる。二松学舎や安田学園、東海大高輪台など東東京の強豪は遠征を余儀なくされるわけだ。
だからどうということでもないが、有力校が早々と姿を消していくのは残念でならない。
4年ほど前に読んだ本。
ネット時代は自己PRや本書の題名にもなっているセルフブランディングが容易にできるという。裏返せば個人情報がだだ洩れになるということでもある。

2017年8月22日火曜日

チャールズ・ディケンズ『二都物語』

今夏全国高校野球選手権大会は花咲徳栄高校が優勝した。
埼玉県勢初だそうだ。
とにかく今年は打撃の大会だった。昨秋の明治神宮大会決勝は履正社が11得点、センバツ決勝は大阪桐蔭が14得点、そしてこの夏の決勝も花咲徳栄が14得点である。この夏の大会は本塁打も68本飛び出した。広陵の捕手中村奨成は清原を上回る大会新の6本塁打を打った。ここしばらく高校野球は攻撃力主体になるのだろうか。
何年かにいちど、長い小説を読みたくなる。それがディケンズだったりする。英文学が好きだというわけではない。ディケンズも『デイヴィッド・コパフィールド』、『オリバー・ツイスト』くらいしか読んだことはない。
『二都物語』はずいぶん昔のことだがテレビで放映された映画をビデオテープに録画して(それもベータマックスだったからたしかに昔のことだ)、何度も観ようと思った。テレビに映し出されるモノクロの画面。馬車がやってくる。と同時に眠気もやってくる。そういうわけで結局最後まで観ることもないまま世の中からベータ方式のビデオデッキはなくなってしまったのだ。
ということで今回手にしたこの本は中学生がはじめて文庫本を買ったときと同じくらいまっさらな状態といえる。最後どうなっちゃうんだろうという予備知識も何もなく読み進めるって楽しい。もちろん過去に読んだディケンズから多少なりとも学習はしているので、どのみちハッピーな結末が待っているのさ~なんて予想を自分なりに立ててはいた。
期待は、いい意味で裏切られた。こんな結末だったのかと。もちろんここで詳細を書くつもりはない。要するにこれまで読んだディケンズ的な終わり方じゃなかったっていうことだ。つくづく映画をちゃんと観ておかなくてよかったと思った。
東京ではもうすぐ秋季大会のブロック予選がはじまる。来夏に向けて、その前にセンバツに向けて、さらには明治神宮大会に向けて野球の新しい季節が今年もはじまる。

2017年8月20日日曜日

吉村昭『闇を裂く道』

丹那トンネルが開通するまで東海道本線は国府津から箱根の山を迂回して沼津に出ていた。
旧東海道本線は御殿場線という名のローカル線になっている。古い幹線の名残りを見に国府津まで出かけたことがある。もともと東海道本線なだけあって、かつて複線だった跡やトンネルの跡を見ることができた。
富士山を間近で眺めることのできるのどかなローカル線ではあるが、東海道本線時代には輸送量の多さと勾配のきつい難所越えがネックだった。国府津や沼津での機関車交換に時間をとられた。急坂を登りきれずレールの上を車輪が滑るため、機関車前部から砂を巻きながら走ったともいう。
SLの時代でなくなってからも国府津駅にはしばらく機関庫と転車台が遺されていた(ように記憶している)。雄大な富士をバックに蒸気機関車全盛期に思いを馳せる。
丹那トンネルは熱海(来宮)と函南を結ぶ。完成当時清水トンネルに次ぐ日本で二番目に長いトンネルだった。その上は丹那盆地があり、湧き水の豊かな水田地帯だったという。わさびが名産だったというからそれはきれいで豊かな水だっただろう。
吉村昭のトンネル作品には黒部ダム建設用のトンネルを掘るノンフィクション『高熱隧道』がある。火山帯の高熱地下を掘り続ける話だった。こんどのトンネルは水攻めである。トンネル内に流れ出る水は工事を難航させただけではない。丹那盆地の住民の生活をも変えてしまった。出水で枯れたこの地はその後酪農と畑作を主とするようになった。
なにしろ15年もの歳月をかけて開通したトンネルだ。この本だけでは語り尽くせぬ物語があったにちがいない。崩落事故や崩壊事故で多くの犠牲者を出した。崩落事故にまきこまれた17名の作業員が一週間後救出される。闇の中でじっと救助を待つ。読んでいるだけで酸素が薄く感じられてくる。
こんど熱海に行く機会があったら、温泉なんてどうでもいいから、トンネルの入り口を見てみたい。

2017年8月9日水曜日

吉村昭『高熱隧道』

トンネルを掘ったこともなければ、トンネル工事を想像したこともなかった。
黒部川発電所建設のインフラ整備のひとつとして谷深い秘境にトンネルを掘る話がこの『高熱隧道』だ。
広告の仕事を続けていてよかったと思うのは、自分では経験できなかった職業の人と出会えたことだ。銀行や証券会社、食品会社などの担当者からそれぞれの業界の苦労話を聴くことは楽しいことだ。空調設備の設計や船舶の船級審査など、一生知りえなかった仕事だったかもしれない。製靴会社の工場で見せてもらった職人の技術も忘れられない。
ひとりの人生でふれることのできる職業の数なんてたかが知れている。そういう意味では吉村昭は興味深い作家である。日本全国を駆けまわって蜂蜜を採取する養蜂家、青森県大間でマグロを釣る人、戦闘機や戦艦をつくる人。読書ならではの出会いだ。
東京の葛西に地下鉄博物館という施設がある。トンネルはシールドマシンという円筒形の巨大な掘削機で掘り進むと紹介されていた。さほど難しい作業ではないと思っていた。ところが読んでみると黒部峡谷に穿ったトンネルの工法はそうではない。穴を開け、ダイナマイトを入れ、爆破する。土砂を運び出してはまた穴を開けてはダイナマイト。この作業を延々繰りかえす。トンネルの両端から掘り進み、中心点はほとんどずれないというから驚きだ。技術者の設計がそれだけ正確であるということらしい。
大手ゼネコンである大成建設は「地図に残る仕事」というキャッチフレーズでずいぶん長く企業広告を展開している。魅力を感じる素敵なコピーだ。しかし建設土木というと危険をともなう仕事である。ましてや相手が“自然”ならなおさらだ。命がけの仕事だ。
黒部峡谷のトンネルの場合、現場にたどり着くだけでも命がけの現場であり、自然の脅威にさらされながらの作業が続く。手に汗握るシーンが続く。もちろん手に汗をかくだけでは済まない。なにせ“高熱”なのだから。

2017年7月28日金曜日

根来龍之『プラットフォームの教科書』

道を訊ねられることが少なからずある。
銀座の三原橋の交差点で新橋演舞場はどこですか、みたいに。晴海通りを指差してこの先に万年橋という信号がありますからそこを右に。ルノアールの看板が目印です。少し行くと采女橋という信号があるので直進してください。左手に見えてきますよ、などとおしえる。
不思議なことにほとんどの人は僕の知っている場所を訊いてくる。昔、京都の大丸の前で烏丸駅はどこですかと話しかけられたこともある。
それはいいとして、もしもあるとき見知らぬ人からプラットフォームってどういうものなんですかと訊ねられたら、おそらく答に窮するだろう。しかし人生というものは何が起きるかわからない。その矢先書店で目にとまったのがこの本だった。
読めばわかるけどそれを人に伝えることが難しいことってあるよね。とりわけICT関連で多い。ひととおり読んで、そうかそういうことだったんだと理解したものの(それを理解と呼んでいいなら)、やはり道を訊ねるみたいに訊かれたら答えられるかどうか、自信がない。
休日お昼にラーメンが食べたくなったとする。その際の選択肢としては少し歩いて駅前のラーメン店に行くか、スーパー、コンビニで購入してうちでつくるかが考えられる。これはプラットフォームではない(僕の勝手な解釈だけど)。玉子やほうれん草を茹でたり、ねぎをきざんだり、場合によっては豚肉のかたまりを買ってきてチャーシューからつくることだってある。人によってはメンマだって炒めるにちがいない。もちろんお店で食べるとしてもこうしたプロセスは当然必要だ。
ではプラットフォームとはなにか?
それはカップラーメンではないだろうか。ラーメンを食するという欲求を満たすあらゆる工程がレイヤー化されている。誰もがそこに参加できる。お湯を沸かし、注ぐだけで均質な利便性を得られる。
ちょっと違うかもしれないけど、こんど道で訊ねられたらそう答えるようにしよう。

2017年7月26日水曜日

小霜和也『急いでデジタルクリエイティブの本当の話をします。』

1980年頃、すなわち僕が大学生だった当時、デジタルと名の付くものといえば時計くらいしかなかった。
今ではあらゆるものにデジタルという言葉が付く。カメラはデジタルカメラになった。デジタル家電なる製品も一般的なものとなった。有形物でなくてもデジタルマーケティングなる方法論も生まれた。
デジタルクリエイティブは少し違うような気がしている。それは方法論としてデジタル化された手法を意味するのではなく、デジタル化のすすんだ世の中でどういったコミュニケーションが有効かを模索する考え方なのではないかと思っている。
そもそもクリエイティブという仕事は課題解決のための方法のひとつで視聴覚=感性を刺激する高速で平易なコミュニケーションであり、そのためのアイデアの集積回路みたいなことかなとずっと思っていた。
方法論としてのデジタルクリエイティブの端緒はコンピュータ上であらゆるデザインや動画の加工・編集ができるようになったことではないだろうか。センスのある職人の手からセンスのある人の手にクリエイティブは譲渡された。手仕事のデジタル化だ。写植文字を切り刻んで素敵なボディコピーをレイアウトする仕事がなくなり、フイルムをひとコマずつ切ってつなぐ職人技が意味をなさなくなった。
あくまで方法論の話であるが。
デジタルクリエイティブとはデジタルな環境下でより効果的な広告表現ということか。それは(ある程度まで)計測可能で、PDCAがまわせるシステムであり、まさに「運用する」クリエイティブである。そのためには総合系エージェンシーとデジタル系エージェンシーとの融合が欠かせないという。
もちろん筆者の出自はデジタルでなく、クリエイティブだからクリエイティブ寄りの見解が多い。「デジタル系エージェンシーはこれまでクリエイターを育ててこなかった」と一刀両断されているもともとデジタル系の方はこの本にどういった反応を示すだろうか、興味深い。

2017年7月25日火曜日

吉村昭『陸奥爆沈』

何ヵ月か前のこと、会社のネットワークがつながらなくなってしまった。
インターネットにもつながらないし、プリンタで出力もできない。LANのケーブルもWi-Fiもまったく用をなさなくなってしまった。
配線とメンテナンスをお願いしている会社の人に来てもらったが、原因がわからない。ルータをリスタートしても復旧の兆しがない。応急処置として以前使っていた予備のルータに入れ替えたところようやくつながった。
その翌日同じ人が来て、もとのルータに接続しなおした。普通につながる。昨夜の不通は何だったのか。
管理部門から原因がわかり次第お知らせしますというメールが届いたけれど、もう何ヵ月か音沙汰なしだ。こうして世の中に数多ある通り雨のような不具合は忘れ去られていく。
最後に船に乗ったのはいつだろう。
3年ほど前だったか、南房総の館山市を訪れた帰りに浜金谷からフェリーに乗り、久里浜に渡った。わずかな航海だったが、東京湾をわたる風が気持ちよかった。お昼に食べたアジフライもうまかった。
とある仕事で「ちきゅう」という船に乗ったことを思い出した。
「ちきゅう」は地球深部探査船といって海底深く穴を掘ってその堆積物などを採取する特殊な船だ。内部を取材させてもらう仕事だったので海に出たわけではない。清水港で停泊中に乗せてもらった。
人にもよるけれど何か特別な事情でもないかぎり、人はそう頻繁に船には乗らないのではないかと思う。ましてや軍艦に乗るなんてことも、たぶんない。
その身近でない軍艦を間近で見せてくれたのは、吉村昭の『戦艦武蔵』だった。その製造過程を読むかぎり、軍艦が爆沈するなど想像にもおよばないのだが、さすがに火薬庫に火が着けば沈んでしまうものなのだね。しかも軍艦爆発事件のほとんどが人為的な原因だったという。人間が恐れるのはやはり人間ということだろうか。
さて、先のネットワークの不具合だが、原因はいまだに究明されていない。

2017年7月24日月曜日

吉村昭『七十五度目の長崎行き』

ちょうど昨年の4月と7月に仕事で長崎を訪れた。
波佐見という町にある小さな社がある。水神宮という。土の神様と水の神様が祀られている。その社殿に奉納される天井画を取材した。はじめての長崎だった。というかはじめての九州だった。
仕事で行く旅は味気ない。効率が最優先されるからだ。
早朝の飛行機、レンタカーでの移動、宿の近くで夕食。翌早朝から取材・撮影して、最終の飛行機で帰京する。仕事だからといえばそれまでだけど、それでも長崎に行ってきたというと眼鏡橋は見てきたか、グラバー園には行ったのか、ちゃんぽんは食べたのかと訊ねられる。行ったところは波佐見という焼きものの町で長崎市街にいたのはほんの2時間ほどだ。三菱重工長崎造船所もシーボルトや坂本龍馬ゆかりの地もまったく訪ねていない。
負け惜しみではなく、多くの人が想像するのと少しちがった旅ができるのはそれはそれでうれしいこともある。
長崎空港から波佐見町に行くにはJR大村線に沿った国道を北上する。川棚という小さな駅(これがなかなか風情のある駅なのだ)を目印に川棚川沿いを上流に行ったあたりが波佐見町だ。このあたりは穀倉地帯で麦畑がどこまでもひろがっている。仕事の合間や移動中にレンタカーの窓から見た風景こそ何ものに代えがたかったりするものだ。
ちなみに朝9時過ぎに東京駅を出発すると川棚駅に16時半に着く。乗換はわずか2回である。いまどき陸路で長崎に行くのもどうかと思うが、思いのほか遠くない(波佐見町のもうひとつの入口JR佐世保線の有田駅なら乗換1回で16時前に着く)。いつかそんな旅をしてみたい。
吉村昭は長崎を舞台にした作品をいくつも書き上げている。その訪問回数は100を超えるという。そのほとんどが資料収集や取材などの仕事だったわけだからやはりあわただしい移動のくりかえしだったのではないだろうか。
移動の車窓から吉村昭はどんな風景を目にしただろうか。

2017年7月10日月曜日

中尾孝年『その企画、もっと面白くできますよ。』

ときどき思い出したように広告クリエイティブの本を読む。
お目にかかったことのある人、いっしょに仕事をしたことのある人より、最近ではほとんど面識のない方の書いた本が増えてきた。時代を引っ張ってきた先達が少しづつ世代交代をくりかえし、業界内での新陳代謝がすすんでいるせいだろう。
中尾孝年は電通入社当初、中部支社クリエーティブ局に配属されたという。21世紀になる少し前のことだ。僕は当時、中部支社のCM企画を年に何本か手伝っていた。エネルギー関連の仕事やコンビニエンスストアのキャンペーンなど。
新幹線で名古屋に行って、夜遅くまで打合せをして、ぎりぎり最終ののぞみ号で帰るか、クリエーティブ局の方々とお酒を飲んで一泊し、翌朝帰京した。いっしょにチームを組んでいるCMプランナーに同世代が多く、仕事が片付いても話は尽きなかった。
当時は(今もそうだけど)仕事をするうえであまり余裕がなく、自分のアイデアを絵コンテに描いて、さらにその案をプレゼンテーションの舞台にのせるだけで精いっぱいだった。誰かが考えたアイデアに自分のアイデアを盛り込んで、ブラッシュアップしたりもした。そうして一年に何本かテレビコマーシャルになってオンエアされた(名古屋地区だけ放映されてできあがりを視ていない仕事も多かった)。
自分なりに「面白い」広告を考えよう、つくろうと努力してきたつもりだけど、今になってみるとさほど面白くはなかった気がする。もっと面白くしようという熱意みたいなものがなかったような気もする。とりあえず面白そうなカタチになればそれでいい。そうしてお酒を飲みに出かけた。
著者の中尾孝年はおそらくその頃の新入社員だったのだろう。
おじさんたちがとっとと仕事を片付けて、栄の街に繰りだしていく頃、クリエーティブ局のフロアでひとり「面白い」企画を追求していたのだろう。そして当時彼を指導した上司にも勝るすぐれた上司になっているにちがいない。

2017年7月4日火曜日

星野博美『戸越銀座でつかまえて』

その昔、高輪あたりが江戸のはずれだった頃、さらに南へ進んだ江戸越えの集落が戸越だという。
明治になって戸越村は周辺のいくつかの村と統合して、平塚村になり、昭和になって東京市に編入され荏原区となる。戦後荏原区は旧品川区と合併し、現在の品川区になった。
僕が生まれ育った町は旧品川区と荏原区の区界に近い。立会川という川が流れていて、橋を渡れば旧品川区だった。三菱重工や日本光学(現ニコン)の工場があり、さらに下流には国鉄大井工場があった。現在ではJR東日本総合車両センターとなっている。旧品川区の大崎地区も工業地帯だった。現在のように再開発がすすめられる以前、大崎駅周辺は武骨な工場が林立していた。
旧品川区にくらべると荏原区は商業がさかんだったイメージが強い。もともと農村地帯だったからさほど歴史は古くはないだろうが、武蔵小山や戸越銀座、中延に大きな商店街を持っているのが特徴的だ。
戸越銀座は関東大震災後の復興にあたり銀座からレンガをもらい受けたことがきかっけで命名された日本初のなんとか銀座であるという。品川区内の商店街としては圧倒的な知名度を持っている。
それでいて個人的に少々距離を感じるのは(たしかになにか買い物をしたという記憶がまったくない)先述したように荏原区のはずれで育ったせいかもしれない。買い物をするにもどこかに出かけるにしても大井町駅を起点としていた。東急大井町線高架下の商店街や阪急百貨店に幼少の記憶が集中している。戸越銀座には無縁だったが、武蔵小山や中延の商店街(当時アーケードが付いているだけでモダンな商店街だった)には思い出がある。中学校の制服を扱う洋品店があったからだ。
というわけでこれまで疎遠にしていた戸越銀座とお近づきになりたく、ときどき散策したり、本書のようなタイトルの本を読んでみたりしているのである。
そういえば僕が通っていた幼稚園は戸越銀座商店街のすぐそばにある。

2017年6月30日金曜日

山本周五郎『つゆのひぬまに』

日本には季節が四つあるが、野球には春夏秋と三つの季節がある。
これは個人的に季節分けをしているだけで世の定めでも自然の摂理でもなんでもない。3月から5月が春、6月から8月が夏、9月から11月が秋。
春。高校野球でいえば、甲子園球場で選抜大会が開催され、春季地区大会の予選がはじまる。大学野球の春季リーグ戦、社会人野球もJABA(日本野球連盟)主催の大会が各地でスタートする。もちろんプロ野球もだ。
高校野球の地区大会が終わり、都市対抗野球の代表が決まって春野球は終わる。
夏野球は大学選手権から。高校野球も選手権大会の予選がはじまる。7月になれば毎日のように甲子園をめざすチームが熱戦を繰りひろげ、社会人は東京ドームで日本一を競う。そして8月には甲子園。
大学選手権は35季ぶり東京六大学春季リーグ戦優勝の立教大が59年ぶり4度目の優勝を飾った。立教は長嶋茂雄がいた昭和32年と翌33年に連覇している。それ以来の優勝ということで決勝戦は多くのOBが神宮球場に集まったという。もちろん長嶋さんも。
主将の熊谷敬宥は仙台育英時代に上林誠知(ソフトバンク)らとともに明治神宮大会で日本一を経験しているが、長嶋茂雄の目の前でインタビューを受け、チームメートに胴上げされるなんて一生の宝物だろう。
山本周五郎の珠玉の短編集を読む。冒頭の「武家草鞋」からすばらしい。「おしゃべり物語」も「妹の縁談」もいい。なんといっても表題作「つゆのひぬま」がいい。この原作をベースに黒澤明が脚本化した「海は見ていた」はその後遺志を継いだ熊井啓が映画化した。遺作「まあだだよ」の後作品化された「海は見ていた」と「雨あがる」の二編は黒澤最晩年期の仕事である。「海は見ていた」はぜひ観てみたい。
6月ももう終わる。来月は都市対抗野球に高校野球選手権大会。大阪や西東京など有力校がそろった地方大会からも目がはなせない。
この夏はどんな野球にお目にかかれることか。

2017年6月27日火曜日

ウィリアム・サマセット・モーム『月と六ペンス』

2009年、国立近代美術館でゴーギャン展を観た。
「我々はどこから来たのか我々は何者か我々はどこへ行くのか」が日本ではじめて公開された。1897~98年に描かれたこの作品は世界的に高く評価されている。ボストン美術館まで出向かずに観ることができたのはラッキーだった。
ポール・ゴーギャン(ゴーガン)のタヒチでの日々は自伝的回想『ノアノア』に描かれている。
モームの『月と六ペンス』をはじめて読んだのはいつ頃だろうか。新潮文庫で読んだ記憶がある。装幀に特徴があったからだ。いつしか光文社の古典新訳文庫シリーズの一冊として上梓されていた。ゴーギャンをモデルにした小説だったことは憶えてはいたものの、あらためて読み直してみると人の記憶なんてこんなものかと思う。
ゴーギャン(もちろんチャールズ・ストリックランドのことだ)がこの世のものとは思えないくらい最低な人間として描かれている。突如として迸り出た主人公の天才、その深さ奥行を際立たせる演出かも知れないが、あんまりだ。モームが本当に描きたかったのは実はストリックランドと対比される凡庸な人びと(妻を寝とられた友人ストルーヴや突如裕福な生活が舞い込んできた夫人)だったのだろうか。
僕の記憶の中のストリックランドはある日才能にめざめ、タヒチにわたって開花した天才画家というストーリーでしかなかった(世界的に認められたのはその死後であるけれど)。おそらく年月とともに読んだ当時の記憶が薄れ、その後作品を観たり、別の本を読んでいくうちにいやな人ではなくなってしまった。『月と六ペンス』もゴーギャンの伝記的小説でしかなくなってしまった。
それでしばらくぶりに読み直してみたら「あれ、こんなひどい人間だったっけ」となってしまったわけだ。
そういえば昔タヒチを訪れたことがある。ゆるやかな時間が流れていた。
ゴーギャンの時代はマルセイユから2か月かかったという。
きっと心が洗われる旅だったにちがいない。